アジア最終予選も兼ねたU23アジアカップ準決勝のイラク戦で勝利を収めたことにより、7月に行われるパリ五輪への出場を決めた日本代表。これで1996年のシドニー五輪以来、8大会連続の参加となる。

五輪の男子サッカーは原則的に23歳以下の選手によって行なわれるが、1チーム3人のみ「オーバーエイジプレーヤー」として年齢制限のない選手を登録できるルールがある。

今回は日本代表チームでオリンピックに「オーバーエイジ」として参加した12名の選手を紹介していこう。

楢崎正剛

出場した大会:2000年シドニー五輪

その大会での成績:4試合0ゴール

U-23のフォーマットになってから初の五輪グループステージ突破を成し遂げたシドニー五輪。トルシエ監督はフル代表を兼任していたこともあり、年代の近い選手がオーバーエイジに選ばれた。

ゴールキーパーに選出されたのは2002年のワールドカップで守護神を担うこととなる楢崎正剛。この大会では南アフリカ戦、スロヴァキア戦、ブラジル戦、そしてベスト8のアメリカ戦と全試合に先発出場している。

森岡隆三

出場した大会:2000年シドニー五輪

その大会での成績:3試合0ゴール

フィリップ・トルシエ監督が作り出した「フラット3」の司令塔を任された森岡隆三。当時は24歳と若かったが、オーバーエイジとしてシドニー五輪に招集された。

開幕戦の南アフリカ戦と第2節のスロヴァキア戦で先発出場したものの、中田英寿と同じように1枚ずつの警告を受けたため、グループステージ最終節のブラジル戦は出場停止になっていた。

三浦淳寛

出場した大会:2000年シドニー五輪

その大会での成績:3試合0ゴール

シドニー五輪ではフィリップ・トルシエ監督が3人のオーバーエイジプレーヤーを選んだが、その中で最も年上だったのが三浦淳宏(※当時の登録名)だった。

グループステージ第1節の南アフリカ戦では出場なしであったが、その後のスロヴァキア戦とブラジル戦で先発。ベスト8のアメリカ戦では65分から柳沢敦との交代で途中出場している。

曽ヶ端準

出場した大会:2004年アテネ五輪

その大会での成績:3試合0ゴール

トルシエ監督の下でコーチを務めていた山本昌邦氏によって率いられたアテネ五輪。オーバーエイジもトルシエ時代の影響が大きいものになった。ただ、高原直泰がエコノミークラス症候群を発症したため招集できず、2名のみの登録に。

その1人が鹿島アントラーズの守護神であった曽ヶ端準。ベテランとしての役割が期待されたもののあまり安定したプレーが見せられず、3試合にフル出場したものの7失点という結果に。