地元で天才や神童と言われたような選手たちが集い、さらに厳選された選手だけがプロのピッチに立っている。
そんな厳しい世界の中でも“花形”と呼ばれるのがゴールを決めるストライカーである。
プロ野球も今でこそ分業が進んでいるが、昔は最も才能のある者が「エースで4番」を務め、その争いに敗れたものが野手になっていくという時代があった。
サッカー選手も子供の頃は基本的に攻撃、とりわけFWだったりするものだが、年を重ねるごとに後ろのポジションへと振り分けられ、プロになってからコンバートされるケースも少なくない。
文字で書くのは容易いが、本人たちには当然葛藤もあるはず。こうしたものを選手はどのように受け止めているのだろうか?
高校時代は攻撃的な選手でありながらプロ入り後、“守備のスペシャリスト”になった元日本代表MF細貝萌(現ザスパクサツ群馬)は今年実施したQolyのインタビューでこのように語っている。
――前橋育英高校では10番を付けて攻撃的な選手でした。当時のご自身をどう振り返りますか?
僕は中学校が前橋ジュニアでそこから前橋育英高校に行きましたが、当時は基本的に真ん中で好きにやらせてもらう感じでした。
「チームのため」っていうのはもちろんですけど、「自分が気持ちよくプレーすることがチームにとってプラスになる」ということで、ある程度は監督も自由にさせてくれていました。
守備はそもそも好きじゃなくて、攻撃に専念してというか少しでも前で存在感を出せるようにという感覚でプレーしていましたね。
今とはプレースタイルも全く違うと思いますし、もっと積極的に前でボールを触るような感じのプレーヤーだったなと思います。