中山 雅史

最後は日本人枠。三浦カズと並び、日本サッカー史上に残るストライカーとして今なお敬愛されているゴン中山。

ジュビロ磐田の黄金期を支えた彼の背中にはいつも9番があり、日本代表が初出場した1998年ワールドカップでも9番を付けて参戦した。

しかし、母国開催の2002年大会では“精神的支柱”としての滑り込み選出だったため、中村俊輔の落選によって空席となった10番を付けることに。中田ヒデなどから「似合わない」とからかわれた逸話も。

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