――改めて復興した地元宮城の様子を見て思うことはありますか。
「(復興は)まだまだだと思いますけど、震災のつめ跡を残しつつ、風化させないようにどんどんきれいになっています。ちょっとずつですけど、元より良くなっていると思います。今の時代に必要とされているものをつめ跡を残しつつ、風化させないことが一つの大事な部分だと思います。(震災を)風化させないと感じますし、新しい商業施設や公園でもそういった部分を感じます」
――今後Jリーガーの立場としてご自身の経験を多くの方々にどのように伝えていきますか。
「Jリーガーの立場なので発言しないといけないと思いますし、伝えないといけないと思います。チームでも防災イベントに参加させてもらっています。静岡でも地震があると言われているので、防災意識は非常に高まってきています。僕のつたない経験を話す機会を設けてもらって、話させてもらっています。なかなか震災を経験した人の話を聞く機会はないと思うので、できることは限られていますけど、できることをやっていきたいと思っています」
――万が一の震災に対してやるべきことはありますか。
「備える部分は大事だと思います。(震災)当時は車がないと情報を集められなかったので、ガソリンが大事になってきます。朝早く母と僕とでガソリンをもらいに並んだこともあるので、(ガソリンが)半分になったら入れています。そういうちょっとずつですけど、水や食料だけじゃなく、知識も備えることが大事になってきます。(地震が発生したら)すぐに動けないので、いくら知識があっても(すぐに)動けません。ただ蓄えることはできますので、そこが大事だと思います」
――菅井選手にとって3.11はどのような思いで過ごされていますか。
「震災当時は大学できつい走りがあったときに、お父さんが上から見ていて恥ずかしくないように頑張らないといけないと思いながら走っていました。サッカーができる当たり前が、当たり前ではないです。当たり前にサッカーができる環境と、100%打ち込める体に感謝して日々やるだけだと思います。人なので浮き沈みはあると思いますけど、毎年3.11がくる度に思い返します。もう一回心の整理じゃないですけど、立ち返って頑張れる、頑張らないといけないと思わせてくれる日、出来事だと思っています」
あの震災から12年—。震災で傷ついた青年は、沼津の地でJリーガーとして多くの人に夢や希望を与える存在となった。昨季は主将を務めただけに、今季にかける思いは人一倍強かった。
――今季にかける思いを教えてください。
「昨シーズンは照明問題があって順位関係なくJ3ライセンスがはく奪されるという前代未聞の事態が起きるかもしれないという状況の中にありました。クラウドファンディングや、いろいろ方々から協力して頂かないとライセンスをもらえない状況でした。そういった部分で結果を出さないといけないと思っていました。クラブも選手も覚悟を持って挑んだシーズンでしたけど、成績からいえば思ったような成績を残せませんでした。みなさんが期待してクラブに支援して頂いた中だったので、非常に申し訳なく思っています。取らせて頂いたJリーグライセンスがありますので、2023シーズンはみなさんの期待と思いに応えていきたいです」