中村憲剛(2014年大会)

J屈指のプレービジョンを持つ司令塔として、川崎フロンターレにキャリアを捧げたレジェンド。

2006年の代表デビューは25歳の時と遅かったが、岡田ジャパンでは一時トップ下のポジションを任された。2010年は2月に顎を骨折するもW杯メンバーに入りし、パラグアイ戦に39分間出場している。

ただ、34歳で迎えた2014年は落選。

その際、『感謝。』というタイトルでブログに綴った長文は大きな話題になった。

「昨日は朝4時まで眠れませんでした。この4年、ここに入るためにいろいろと頑張ってきたんだなって。そこに入れない、行けないって決まった時のあの喪失感は一生忘れられないと思います。」、「本日、予備登録メンバーに選んでいただきました。でも、呼ばれるということは、23人のメンバーに何らかのアクシデントがあるということです。俺はそれを望みたくはない。でも過去の例を見ても何が起こるかわからないのがW杯です。だから、その時のためにしっかり準備をしておくのは登録メンバーに入った者の義務だと思います。」など綴った文面はいま見てもこみ上げるものがある。