Q: 梶川選手のキャリアを振り返ってみたいんですが、梶川選手は関西学院大学で毎年のように賞を獲る活躍をされています。当時の監督はあの加茂周さんだったそうですね。

梶川: 僕が大学1,2年生の時の監督が加茂さんだったんですが、本当にめちゃくちゃ走りましたね。

プレスの代名詞みたいな監督だったので、週明けはもちろん走りメインのトレーニング。学年が上がるごとにスタミナやゲーム体力が付いていくのを実感しました。

自分の基盤となるスタミナや走力を作ってくれたのが大学での4年間だったので、加茂さんには感謝しています。

<日本代表の監督も務めた加茂周氏(左)>

Q: その後、特別指定を経て2012年に東京ヴェルディへと加入されました。ヴェルディを選択した理由はなんだったんですか?

梶川: 僕が選んだというわけではないんです。

大学ではもちろんプロを目指してやっていたんですけど、(Jクラブに)練習参加する機会がなくて。3年生くらいの時には「練習参加したいんですけど」と監督に話したら「向こうから言ってくれないと厳しいよ」と言われました。

3年生の2月か3月頃でしたかね。春に4年生となるタイミングで、ヴェルディが高知キャンプに来ていて練習試合をすることになりました。

実はその時のヴェルディのGKコーチの方が、僕が1,2年生だった時…加茂さんが監督だった時のGKコーチの方だったんです。

それでその方に「練習参加できないですか?」という話をしたらたまたま声を掛けてもらうことになり、その練習参加で当時の川勝良一監督が僕を獲ってくれるというか、そういう形になりました。

なので僕が選んだというよりは、そこがなければ僕のプロ生活はスタートしていなかったんです。そういう意味では、ヴェルディには恩というか感謝しかないですね。

Q: プロでは一年目から活躍。同年は中島翔哉選手が当時史上最年少でハットトリックを記録しましたが、梶川選手もこの試合に出られていました。偶然にも身長が同じ(164cm)彼をどのように見ていましたか?

梶川: 僕164ってなってますけど、翔哉のほうがちょっとデカいです(笑)。

翔哉は僕が1年目の時にはまだ高3でしたが、負けん気の強さがあって、ずっとボールを触っているというか練習が終わった後もずっとドリブルの練習していました。

<若き日の中島翔哉(36番)と梶川諒太(23番)>

周りを使うというよりはドリブルをどんどんやり続ける。試合によってはドリブルが上手くいかないこともあって、そんな時にはある意味“批判”というか「もっと周り使えよ」みたいな反応もあります。

でも翔哉はブレずにやり続けて、突き抜けたなという印象です。絶対シュートまで持っていくんだという、やり続ける力みたいなものが人より強かったなと思います。

そういう芯の強さは当時からずっと感じていました。彼は僕より年下ですけど、やり続けることって大事なんだなというのを教えてもらったような印象ですね。

Q: その後、1年で湘南ベルマーレへ移籍。当時の湘南には遠藤航選手もいて、2014年には一緒に副キャプテンも務められました。彼が現在のようになることを想像できましたか?

梶川: 航も年下なんですけど、本当にしっかりしていましたね。

当時は僕もまだ若いほうだったんですけど、他の若い選手たちと比べてもすごくしっかりしていて、考え方だったりがちょっと違ったなと思います。

常に自信を持ってやってましたし、チームに対する責任感を持って戦っていて、どこに行っても通用する選手だろうなというのはやっぱり感じていました。

かといって「気難しい」とか「話しづらいな」みたいなものが全くない。今もそうなんですけど当時からずっと変わらず、人としても優しいんです。

ただ試合になるとスイッチがしっかり入る。やっぱり上に行く選手というのは人間的にしっかりしていたり、人のために何かをやれる選手なんだなと感じましたね。

Q: 屈強な選手たちが揃うドイツでデュエルがNo.1になったという話題もありましたね。

梶川: 当時からそういう強さはありましたよ。

湘南の時はボランチは少なくて、基本的には3バックに入ることが多かったんですけど、それでも前に出て行って点を取ったりしていました。

現在はボランチとしてボールを受けたり捌いたりしていて、強さと上手さが合わさった素晴らしい選手ですね。

そういう選手と一緒にできた期間というのは自分にとってすごい宝というか有意義な時間だったなと思います。