――原さんがこれまでやってきたことがそれだけ愛されてきたという証明だと思います!そのキャリアを振り返っていこうと思うんですけれども、まずはやっぱり市立船橋高校のところから行きましょうか?

入学のきっかけは、小学校4年生の頃に見た高校選手権ですね。1年生のキタジさんが(北嶋秀朗氏:現大宮アルディージャヘッドコーチ)活躍されているのを見ました。あのような選手になりたくて、小6で市立船橋に行くことを決めました。

ただ、中学ではまつひだいクラッキスという立ち上げ間もないクラブの2期生で、それほど強いチームではなかったんです。松戸市の大会でも勝てなかったほど。成績が出ていないので、市船のセレクションは受けられませんでした。

その後当時の石渡部長(石渡靖之氏:現東邦高校&愛知東邦大サッカー部総監督)が「チームは負けているが、原一樹は点を獲っているな」と呼んで下さったんです。とはいえ案の定レベルが高くて不合格に。

それにめげず、中学校では学級委員をやっていたので、推薦でなんとか行けないかと試みたんですが、セレクションで落ちているので合格には至らずで…。

最後は「一般試験で受けるしかない」と、勉強してなんとか入ることができました。そこからは毎日必死でしたね、Aチームなんて全く絡めなかったですし、1年生の大会でもギリギリ試合に出られるかどうか。2年生ではクラブチームのヴィヴァイオ船橋に登録を変えていて、市立船橋では一切に試合出ることができなかったんです。

ただ、3年生になる時、布先生(布啓一郎氏。市立船橋高校で長く指揮を執った監督)から「市船に戻ってこい」と誘われました。ヴィヴァイオで楽しくやりたいなとも思ったんですが、「何のために市船へ来たんだ」ともう1年間頑張ろうと決めました。

そして春先に少し試合に出してもらって、夏には点を取り続けて、さらに高校選手権では異例の10番を背負わせていただきました。今ティアモ枚方(JFL)の監督を務める小川佳純のシュートのおかげで優勝することができまして、そこからは強くJリーガーを意識するようになりましたね。

【動画】高校サッカーの歴史上最も美しかったと言われる小川佳純氏(現ティアモ枚方監督)のスーパーロングシュート

北島さんの10番を背負って市立船橋で優勝するのが目標だったところが、高校選抜やU-18代表などにも行くようになり、Jリーガーの夢が現実に近いものになりました。

その後進学した駒澤大学でも素晴らしい仲間と戦えました。厳しいイメージがあるかもしれませんが、サッカー部は坊主とかはないんですよ。全国タイトルも5、6回取りましたし、ユニバーシアード大会でも2回世界制覇しました。