3月14日に2021年シーズンの開幕を控えているJFL。Jリーグへの登竜門でありつつも、Honda FCやソニー仙台FCなどプロに匹敵するクラブが存在し、一筋縄ではいかない厳しいコンペティションとなっている。
そのリーグで今年14シーズン目を戦うことになっているのが『MIOびわこ滋賀』だ。
2006年に佐川急便京都サッカー部が解散になったあと、滋賀県草津市のジュニアユースチーム『FC Mi-O キャットフィッシュ Kusatsu』が経営権を引き継ぎ、『MIOびわこ草津』と改名。
2007年には全国地域リーグ決勝大会で3位となってJFLへと昇格することに成功し、その後1度も降格することなく14年目を迎えている。
親会社も無く、さらにJライセンスもないために上を目指すこともできない。なのに14年間をJFLで過ごし、チャンスを伺い続ける。
ほとんどの新興クラブが数年でプロジェクトを崩壊させてしまう中、なぜMIOびわこ滋賀は「継続」が可能なのか?
今回Qolyではクラブ創設から監督、強化部長を歴任してきた「生き字引」中尾幸太郎さんにインタビューを敢行。どんなプロジェクトで経営してきたのかを聞いてきたぞ。(取材日:2月13日)
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JFLに上がることができたのは「たまたま」であり、そのタイミングを逃していたらムリだったかもしれない…と回想する中尾幸太郎強化部長。
手に入れたチャンスを生かしつつ、上を目指せる機会を待ちながら長くJFLに残ることに成功してきた。だからこそクラブを維持し、千載一遇の好機を狙いながら戦い続けられている。
難しい状況の中で13年もの間JFLでのプレーを続けられたMIOびわこ滋賀の姿勢に学べるところはたくさんありそうだ。