――水戸ホーリーホックのユースやアカデミー、スクールはどんな規模なのですか?

「ユースは3学年で38名です。ジュニアユースは1学年20人、計60人で活動しています。ジュニアの部は小学4年、5年、6年の3つのカテゴリで31~32名だと思います。

スクールのところに関して言いますと、水戸校、那珂校、ひたちなか校、茨城町校、筑西校と大きく5箇所の会場で年間計550人前後ですね。

ちょっと今年は新型コロナウイルスの関係で少なくなってしまいまして、500名前後のスクール生とともに活動しています」

――茨城県には鹿島アントラーズがありますが、その影響は?

「鹿島アントラーズさんの本体に関して言えば、車でも1時間以上かかってしまう距離感なので影響はありません。

ただ、鹿島さんは本体、つくば、ノルテという3拠点を設けております。そのノルテという地域が水戸と結構被っていますね。

若干はもちろん違うんですが、ひたちや県北ですね。水戸の本拠地は中央地区というのですが、スクール会場などで多少重なります」

――そういえば、水戸と言えば新しいクラブハウスの「アツマーレ」ができましたね。下部組織にも影響は?

「アツマーレという場所は、水戸市から車で50分程度かかる上、交通手段があまりない場所なんですね。

ですのでアカデミー生やスクール生含め、行くことは年間数回です。イベント等々でグランドを使用したり、トップとの交流を図るときには使用しますが、基本的には回数は少ないかなと思います。

ただユースに関して言えば、練習試合やトップとの交流というのは頻繁に行っておりますので、バスや保護者の送迎もうまく使って開催しています。

――失礼ながら、以前は水戸のユースにほとんど印象がありませんでした。しかし、2017年に中川洋介選手、2018年に大原彰輝選手、2019年に平田海斗選手と、このところはコンスタントにプロ選手を輩出しています。なにか変化はあったのですか?

「水戸ホーリーホックは予算規模が少なく、アカデミーにパワーをかける力がなかった…というのが2000年代でした。

僕がやってきたのが2012年なんですが、なぜ自分が呼ばれたかと言えば『ユースの強化をしたい』ということだったんです。そこからはトップに繋がるような強化をしてきました。

中川は僕が来てから2年目に獲得した選手なんです。1年目は獲れないので、次の年ですね。

そこからは中川が出て、大原、平田、そして今年も田辺陽太という選手が昇格内定しておりますので、コンスタントに出るように『やっとなってきた』のが現状だと思います」

――中川選手と大原選手はアルビレックス新潟シンガポールに期限付き移籍、平田選手はブラジルに留学していましたね。クラブとして海外の経験は重視しているのですか?

「シンガポールに関して言えばトップの年代で行きましたので経験の場です。アカデミーとしても、平田はクラブの計画で高1の時に短期留学という形でブラジルへ2週間程度行きました。

そして今年トップ昇格する田辺も1年生の時にブラジル留学をさせています。そういう活動をして強化に繋げてきました。

トップとアカデミーで多少考え方は違うと思うのですが、トップは経験の場として、ユースは世界のトップレベルの選手を肌で感じて成長する機会という形で行かせております」