ペルージャが描いた未来予想図
1991年から2004年までペルージャの会長を務めたルチアーノ・ガウッチとその一家は新しいビジネスモデルを考えていた。
中田英寿が所属していたことでも知られる同チームはアン・ジョンファン(韓国)、マ・ミンユ(中国)といった当時イタリアで未知数だったアジア圏の選手を獲得するばかりか、スウェーデンの女子サッカー選手の獲得を目指したり、アル・サーディ・カダフィ(リビア)を加入させ世界のあらゆる選手をプレーさせようとした。
ペルージャは中田英寿(ローマ)以外にもマルコ・マテラッツィ、ゼ・マリア(共にインテル)、ミラン・ラパイッチ(フェネルバフチェ)ら選手を活躍させビッグクラブへ売却させる戦略をとっていた。
一方でこうした世界に目を向け選手を獲得し成長させてビッグクラブへ売却するというスカウティングは21世紀には“ふつう”になっていった。
そこで、同国内のセリエB~Dに所属する選手に目を向けたのだ。 そこで考えたのがサテライトチームを同国内に作ることである。
20億リラでサンベネデッテーゼを購入するなど、彼らは最大でセリエAにペルージャ、セリエBにカターニア、さらにセリエCクラスにサンベネデッテーゼ、ヴィテルベーゼと4チームを所有した。選手をそれぞれのカテゴリで行き来させることで1~4軍を同国リーグ内に持たせようとした。
下部選手を育てて売る。ペルージャが目指したサテライト方式
中でもダヴィデ・バイオッコ(ヴィテルベーゼにローン後、ペルージャで主力になり後にユヴェントスへ移籍)、ファビオ・リヴェラーニ(ヴィテルベーゼで4年間プレーした後ペルージャで主力になりラツィオへ移籍)、マルコ・ディ・ロレート(ヴィテルベーゼからペルージャへ加入し後にフィオレンティーナへ移籍)の3選手は成長の筆頭格となった。
それ以外にもファブリツィオ・ミッコリ(セリエBテルナーナからユヴェントスが獲得後ローンでプレー)、ファビオ・グロッソ(上記写真右。キエーティでプレーした後にペルージャへ移りインテルなどでプレー)などセリエAで全くプレー経験がない選手を獲得し主力としてきた。
“育成”のペルージャは、中田英寿がプレーしていた時代よりも好循環を生み出し2001-02シーズンには一桁順位の8位、翌2002-03シーズンも9位フィニッシュと中堅クラブへ定着した。
一方で、その裏には大きなサポーターの反発があった。
当たり前だが「毎シーズンのように活躍した選手がこぞっていなくなる」「なのに、獲得するのは2~4部でしか経験のない若手」とあれば前評判は低い。さらに、ガウッチ一家は選手売却で稼いだ金額をペルージャの選手獲得へは投資せず、毎シーズンのようにペルージャは降格候補にあげられた。サポーターは「ガウッチは女にお金をつぎ込んでいるのではないか」と批判したぐらいだ。
毎年新戦力を下部から獲得してうまくいくことは難しい。2003-04シーズンにはUEFAカップとの両立もたたりセリエA15位でプレーオフの末にセリエBへ降格している。
ペルージャは2004-05シーズンをセリエB3位で終えセリエAプレーオフを戦ったが、その直後ガウッチ一家の脱税などが明らかになり破産。セリエC1から再出発となった。
ガウッチ一家は逮捕から逃れるためにドミニカに逃げた。その後はサテライトチームだったカターニア(2004年に他オーナーへ売却)のほうがセリエAで活躍したというのは皮肉な話である。現在のペルージャはセリエBでプレーしているが、その後、ペルージャはさらにもう一度経営破綻しセリエDからやり直した。つまり、新しいオーナーの下でセリエDから這い上がってきた“別”チームである。
一方で、ガウッチのやり方を応用させたような方法でうまくいったのがジャンパオロ・ポッツォ体制のウディネーゼである。