選手から代理人へ

HFCハーレムのユースに所属していた彼は、18歳で引退。育成部門のチーフとしてフロントに入っている。同時にレストランの売買などで実業家としての活動もスタートさせた。

そして20歳の時、ハーレムのスポーツディレクターとなったほか、代理人としての仕事も始めた。

語学力を買われて選手組合から仕事をもらうようになり、オランダ人選手の海外担当者として手腕を発揮していく。

ブライアン・ロイをアヤックスからフォッジャに移籍させたことを皮切りに、デニス・ベルカンプやヴィム・ヨンクなどを手がけていった。

セリエA全盛期に名を上げる

しばらくしてミーノは独立し、モナコに会社を設立。ブラジル、オランダ、チェコにも事務所を構え、代理人として頭角を現していく。

それから最初に手がけたビッグディールがパヴェル・ネドヴェドの移籍であった。スパルタ・プラハからラツィオへ、そしてユヴェントスへ。

急速に価値を上げていくネドヴェドとともに、ミーノ・ライオラも代理人としての知名度を高めた。

その後はズラタン・イブラヒモヴィッチ、ロビーニョなどの大型移籍も取り扱い、世界屈指のエージェントとして確固たる地位を形成する。

顧客は?

有名なのは前述のズラタン・イブラヒモヴィッチ、ヘンリフ・ムヒタリャン、マリオ・バロテッリ、パヴェル・ネドヴェド、ロビーニョら。

会社員時代に手がけたのはフランク・ライカールトやデニス・ベルカンプらオランダ人選手たち。現在の大物ではロメル・ルカク、ブレーズ・マテュイディ、グレゴリー・ファン・デル・ヴィール、ジャコモ・ボナヴェントゥーラ、イニャーツィオ・アバーテなどもそうである。

しかし、これまで大きな移籍をしていない選手も多く担当している。ジャンルイージ・ドンナルンマ(ミラン)、モイゼ・ケアン(ユヴェントス)、ユスティン・クライフェルト(アヤックス)、ハキム・マストゥール(ズヴォレ)などがそうだ。

おおよそオランダ、イタリア、イングランド、ブラジル、西スラブ、そしてフランスのパリから南海岸というラインで繋がる代理人だと言える。

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