Qoly年末年始恒例のプレイバック企画! 過去に掲載された記事をもう一度振り返ってみよう。
今回は2016年1月に公開した「高校生の最高到達点?天皇杯でマリノスを追い込んだ市船と彼らの今」をお送り。
ガンバ大阪の優勝で終わった天皇杯。これまで数々のドラマを生んできた大会だが、今でも語り草になっている試合がある。
2003年12月14日、天皇杯3回戦で横浜F・マリノスが市立船橋高校と対戦した試合だ。
プロとアマチュアでは大きな壁がある。ましてや高校生がザスパ草津、阪南大学とプロや大学チームを下し3回戦にまで進出しただけで快挙だ。
市立船橋はこの試合で2点を先制される。さすがにJ1で日本代表を数多くそろえるマリノスの壁は厚い。誰もがそう思っていた。
ところが、後半24分、右サイドでFKを得た市立船橋MF鈴木修人はファーサイドに大きなロングボールを入れるとこれをマリノスのGK下川健一がまさかのキャッチミス。すかさず増嶋竜也が押し込み1点を返す。
市立船橋はFWに長身の壽透を入れると、高さで主導権を握る。そして、試合終了間際、カレン・ロバートのドリブルから田中恒太がゴールを決め土壇場で同点に追いついた。
しかし試合は、これで終わらない。増嶋竜也が後半44分に退場してしまったのだ。
10人の高校生と11人のJリーガーという絶望的な状況で延長戦が行われた。“気合い”や“根性”とはこのようなプレーのことを言うのだろう。精神と身体を張ったディフェンスでプロの意地を跳ね返し続けた。
試合は、結局PK戦に突入し、横浜F・マリノスが4-1で市立船橋を下した。PK戦のような場では1人1人の経験や技術がものを言うのだろう。
だが、市立船橋イレブンは笑顔でピッチを去り、レポーターは「おめでとうございます」とマイクを向けた。どちらが勝者で、どちらが敗者なのかわからない光景がそこにはあった。
あれから12年、当時試合に出場した市立船橋の選手たちはどうなったのだろうか?