フアン・セバスティアン・ベロン
Juan Sebastian Veron: I should never have left Manchester United for Chelsea https://t.co/OrfTB9EPp4 pic.twitter.com/l1NePJ4vqs
— Indy Football (@IndyFootball) 2016年4月19日
ブルヒータ(小さな魔法使い)と呼ばれた元アルゼンチン代表MF。エストゥディアンテスの下部組織出身で、1996年に名門ボカ・ジュニオルスに移籍。ディエゴ・マラドーナ、キリ・ゴンサレスなどと一緒にプレーし、21歳でアルゼンチン代表にデビューした。
1996年のアトランタオリンピックで銀メダルを獲得。サンプドリアが興味を示し移籍が決定。ボカでのプレーはわずか17試合であった。サンプドリアでもレギュラーとしてプレー、1998年のフランスワールドカップではアルゼンチンの中心選手になった。このプレーがきっかけで当時強豪クラブであったパルマへ移籍した。
パルマではエルナン・クレスポと同僚に。コッパ・イタリアとUEFAカップのダブルに貢献し、1シーズン過ごしてラツィオに移籍する。当時のラツィオは資金力が豊富で、世界中から選手をかきあつめていた。加入初年度の1999-2000シーズン、セリエA優勝とコッパ・イタリア獲得に貢献した。ラツィオの在籍もわずかに2シーズン。2001年の夏にマンチェスター・ユナイテッドがイングランド史上最高の移籍金(当時)である2810万ポンド(およそ44億円)を支払ってベロンを獲得した。
イングランドでの飛躍を大きく期待されたベロンだったが、マンチェスター・ユナイテッドのプレースタイルに馴染めず。負傷もあって望まれたような活躍ができなかった。サー・アレックス・ファーガソンは擁護したものの、2003年の夏にはロマン・アブラモヴィッチのオーナー就任で勢いづくチェルシーに半値近い1500万ポンド(およそ23.5億円)で売却されている。
チェルシーでも輝けなかったベロン。イングランドのフットボールが合わないことが決定的となり、チェルシーとの残りの契約はローン移籍で過ごすこととなる。最初の2シーズンはイタリアのインテルで、残りの1シーズンはプロデビューしたクラブであるエストゥディアンテスだった。
イタリアで活躍していたことと代表で恒常的にプレーしていたことから、イングランドでの失敗があまり印象的ではないベロン。しかし、獲得に費やされた金額は当時の移籍金レコードであり、この手のニュースを欧州のメディアが報じるたびに格好の餌食となっている。
確かに英国方面では燃費は悪かったかもしれない。だが、彼が一流選手であったことは疑いようの無い事実であり、サッカーの難しさを痛感させてくれるものだ。