フアン・セバスティアン・ベロン
「私はオールド・トラッフォードのミュージアムでエストゥディアンテスのエンブレムを見たよ。そして、そこに描かれた父の顔の絵もね。
それはとても感情的なものだったね。私は父親の足跡を辿っているような感覚に陥ったよ。
プレミアリーグの試合には良い形でスタートできたと感じたよ。プレシーズンの準備は、イタリアとは全く違っていたね。
私はトレーニングの雰囲気を気に入っていたし、仲間も素晴らしかった。ライアン・ギグスのような人々も親切にしてくれた。
しかし、私はサッカーの面で適応することに苦しんだ。そして、年間を通じて非常に多くの試合があった。
試合は90分を通して強度が高かった。イタリアではより戦術的であったし、試合はクローズされがちだった。
イングランドでは、試合はよりオープンだった。ボールを奪い返して、そして前に送る。よりフィジカル的だったね」
「(2003年にマンチェスター・ユナイテッドを離れ、チェルシーに行きましたね?)
私が何か不満があったとすれば、自分が毎年浮き沈みが大きかったということだ。シーズンを通して高いレベルを維持できなかった。
しかし、私はマンチェスター・ユナイテッドに残るべきだったね。離れずに」
ベロンが語る、イングランドでの後悔とは?
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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