湘南でブレイク

FC東京に加入した丸山だったが、最初の2シーズンは出場機会が限られていた。2シーズンでJ1出場数は僅かに3、2013シーズンは一度も試合に出場することができなかった。

2014シーズン、丸山は決断することになる。出場機会を模索してJ2の湘南ベルマーレへ期限付き移籍を果たしたのだった。当時、以下のコメントを残している。

「サッカー選手として、最後の勝負の年だという気持ちで来ました。後がないという覚悟で、危機感を持って臨みたい」

丸山は3年目といえど25歳を迎えようとしていた。Jリーガーの平均引退年齢は約26歳であり、大卒で3年やってチャンスを掴めなければ多くは引退していくのが現状だ。

そんな状況で丸山はJ2で40試合以上に出場、リーグ最少失点25、勝ち点101という記録的な強さで優勝を果たす原動力となった。

当然、J1を戦うことになる湘南ベルマーレに残留することがファンから望まれた。しかし、2シーズンを過ごしたFC東京復帰という選択を選んでいる。丸山はFC東京公式サイトでこう声明している。

「年間を通して試合に出られたことでプレー面で成長できたという手応えもありますし、一番は気持ちの面で学ぶことが多く精神面で成長できたと思っています。来季、FC東京で以前とは違う、成長した自分を見ていただけるように精一杯頑張ります。応援よろしくお願いします」

ところが、現実はそう甘くなかった。

FC東京復帰も当初はサブ

FC東京に復帰した丸山だがシーズン開始時の立場は、森重真人、吉本一謙、カニーニらの控え、つまりセンターバックとしては4番手の立ち位置だった。そのために、1stステージでは左サイドバックとして太田宏介が試合に出場できない時に出場するという苦しい状況が続いていた。

2ndステージ、太田の故障により左サイドバックとしてチャンスをつかむと、太田復帰後のベガルタ戦にセンターバックとしてレギュラーを務める。そのまま太田復帰後も左サイドバックではなく同ポジションでフル出場を続けた。レギュラーを獲得して僅か1カ月後の8月31日、槙野智章の負傷により日本代表に追加招集を受けた。驚きのシンデレラストーリーである。

現在のFC東京はJ1で3番目に少ない15失点、1stスタージと通算でも33失点で3番目に少ない。そのチームにあって12試合連続でフル出場を続けている。

DFラインを組むのは森重、太田、徳永悠平らいずれも日本代表経験者たち、丸山は2年連続でリーグ屈指のDF陣の中で一角を担っている。J1のデータスタッツを見る限り、空中戦を始め守備の記録はJ1でも屈指の値となっている。

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