ゴッドフレッド・ドンサー
(ボローニャMF)
「(父親はなぜガーナを出たの?)
彼は僕、そして僕の兄弟の食べ物や教育費を支払うことが出来なかったんだ。僕自身もカカオのプランテーションで働いていたけど、ヘビが出るんで危険な場所だったね。
父が家を去った後、僕は4~5年は父の声を聞いていなかった。彼はおそらく家に電話をかけていたんだろうけど、僕はサッカーをしていたり、外に出たりしていたからね。
僕の父親は仕事のためにイタリアに行った人物だ。物事はその時代から変わった。ただ、あの国にはまだ何もないけどね。とはいえ、人々は戦争のために国を逃れなければならなくなっている。
イタリア人にお願いしたい。出来ることならば、助けて欲しい。街にはサッカー選手になりたいという友人がいて、彼は『助けてくれ』と訴えている。ボローニャは本当にいい街だ。
僕は今英語を勉強している。でもそれは医者になるためではなくてね。理解しなければならないからだ。もし契約を結ばなければいけないとなれば、僕はそこに何が書かれているかを理解したい。
その研究を完了するために、2~3年のうちにイングランドへと行きたいと思っている。テレビを見たり、アニメーションを見たりするのは、イタリア語の勉強に役立っているね」
「(エラス・ヴェローナ時代は?)
ヴェローナで初めての練習の時には、僕は常にルカ・トーニを見つめていたね。彼にはなぜかと聞かれたけど、『まだ自分がここで何をしているのかを理解できない。僕は2006年にテレビであなたを見ていた。いつも得点していたあなたを』と答えた。
神様がここに連れてきてくれた。それ以上に大きなものなんて僕にはなかった。ただ僕は全てを賭けて一生懸命に働くことが出来るだけだ」
「(なぜボローニャに来たの?)
ここは完璧な場所だし、僕は元気に過ごしている。ただ、最初に考えていたのはカリアリに残ることだったんだけどね。
僕はクラブに言ったんだ。『僕に手伝ってくれと求めるのならば、僕はそうするよ』と。条件が同じだったら、おそらくセリエBに行っていた。しかしボローニャはもっと僕を求めてくれたんだ。
ここで僕はドメニコ・マイエッタと出会った。僕がヴェローナにいたときに彼はキャプテンで、僕に『君は絶対強くなるぞ』と言ってくれたんだ。
ただ、残念なのはカリアリのファンがそれを批判していることだね」
「(パレルモ、コモ、ヴェローナ、カリアリ、そしてボローニャ。ガーナから来て夢を掴んだね。最高に幸せ?)
いや、イタリアの最初は大変だったよ。多分、数ヶ月はお金が全くないまま過ごしていたと思う。しかし、僕はここに残った。そしてサッカーを続けられた。僕はこれほどまでに幸せだったことはないよ」
元不法移民のG・ドンサーが語る…「一人の男は船から落とされた」
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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