今週末に日本代表での初陣を飾るヴァヒド・ハリルホジッチ監督。彼がアルジェリアを率いて2014年ワールドカップに出場し、優勝したドイツ相手に健闘したことは有名である。
しかし、彼が就任する前のアルジェリアはどうだったのか?就任からしばらくはどうだったのか?これらについてはあまり伝えられることがない。
Qolyではこの機会に「ハリルホジッチ以前」「ハリルホジッチ以後」のアルジェリアについてまとめてみたい。
ラバー・サーダヌ政権の崩壊、そしてハリルホジッチの就任
意欲的な戦いを見せた2010年ワールドカップを終え、アルジェリア代表は次なる目標である2012年アフリカネイションズカップの出場を目指して再出発する。
ところが、燃え尽き症候群にかかってしまったのか、大会後の親善試合では絶不調となり、9月の予選第1節でタンザニアを相手に引き分けてしまう。
アルジェリアは予選を5試合残してラバー・サーダヌ監督の解任を決断した。ところが、その後を継いだアブドゥルハク・ベンシーハ政権下でも結果は上向かず。
Abdelhak Benchikha n'est plus l'entraîneur du #RajaCasablanca : http://t.co/SXkjpsKKRZ pic.twitter.com/FCtp1lo1rk
— FIFA.com en Français (@fifacom_fr) 2014, 9月 25
(アブドゥルハク・ベンシーハ氏)
10月に中央アフリカに敗れる最悪のスタートを切り、次の年に入って5月にはモロッコを相手にホームで勝利を収めたものの、その1ヶ月後には同じモロッコに4-0と大敗。予選を3試合消化したところで、ベンシーハ氏は短い任期を終えた。
そして2011年6月、アルジェリアサッカー連盟は2013年アフリカネイションズカップ、および2014年ワールドカップ出場を目指し、ヴァヒド・ハリルホジッチ氏の招聘を決断した。
コートジボワールを辞任後アフリカのチームを嫌っていたとされるハリルホジッチ氏であるが、最終的にはオファーを受託した。