12月1日、中国超級リーグの杭州緑城は公式サイトで「新たな指揮官としてフィリップ・トルシエ氏と契約した」と公式発表した。
2002年ワールドカップで日本代表チームを率い、地元開催の大会で初の決勝トーナメント進出を成し遂げたことで知られるトルシエ氏。しかし、その後はあまり華々しいキャリアを築く事が出来ていない。我々が彼を知ってからの歩みを見てみよう。
・日本代表監督時代 1998~
現在の日本代表人気の基礎を作り出したのはこの時代だったのではないか。多くを語る必要はないだろう。
・カタール代表時代 2003~
ワールドカップを最後に日本代表を離れたトルシエは、カタール代表チームの監督に就任する。当時は現在ほど話題になる存在ではなかったものの、2002年のガルフカップで2位になっており、中東地域では力を発揮しており、大きな結果が期待されていた。
しかし、日本代表チームがジーコ監督の下で優勝を果たした中国でのアジアカップでは、グループリーグで1勝もできず敗退し、解任されている。
・マルセイユ時代 2004~
母国フランスの名門チームを率いることになったトルシエ。就任当初はそこそこ勝てていたものの、徐々に調子を落として負けがかさみ、最終的には1シーズンで解任されることになった。
ただ話題は非常に多かった。鹿島から中田浩二選手を獲得し、3バックのストッパーや左サイドバックとして起用したものの、雪の日のボール見失い事件やPSG戦のオウンゴールなどでマイナスのイメージが先行してしまい、マルセイユ史上のワーストイレブンにも選ばれることになった。
その一方でまだ10代だったサミル・ナスリがトルシエ監督の下でレギュラーを獲得、ナイジェリア代表DFテイ・タイウォもこの時にデビュー。フランス代表となったペギー・リュインデュラやブノワ・ペドレッティ、フレデリック・デウーに加え、のちにプレミアリーグでプレーするハビブ・ベイやアブドゥライ・メイテの他、スティーヴ・マルレ、コケ、モデスト・エンバミなども。ビセンテ・リザラズも前半戦だけであったが所属していた。
また、この時にレンタルで出されていたセドリック・キャラッソはその後トゥールーズで大ブレイクしフランス代表に上り詰めた一方、マルセイユで長期の出場停止となったファビアン・バルテズの穴を埋めたジェレミ・ギャヴァノンは大きなミスを犯して評価を落とし、現在は4部のカンヌ所属になっている。