17日午前4時25分頃、沖縄県宮古島市上野宮国の県道で元日本代表MF奥大介氏(38)が乗っていた軽乗用車が道路脇の電柱に衝突、車は大破し奥氏は病院に担ぎ込まれたものの死亡が確認された。
奥氏は神戸弘陵高校を卒業後、1994年にジュビロ磐田に入団すると、名波浩を中心とする「N-Box」の一角へ順調に成長。機を見た前線への飛び出しでいくつものゴールチャンスに絡むだけではなく、鮮やかなスルーパスで決定力のあるFW陣に数多のアシストを提供した。
その後は、2002年に横浜F・マリノスに移籍し、絶対的司令塔として君臨するが、2006年に戦力外通告となり、横浜FCでプレー。2007シーズンを持って現役生活に終止符を打った。日本代表では2000年のアジアカップで優勝を経験するなど26試合に出場し2ゴールを記録している。
引退後は、横浜FCの強化部長、多摩大学目黒高等学校の監督など指導者の道に進むが、体調不良や女優・佐伯日菜子との離婚など私生活上の問題を取りざたされていた。
マリノス時代の映像
2004年のゴールシーン
ニュース速報が流れるとtwitterではファンから黄金時代の思い出を偲ぶツイートが多く見られた。
松田直樹と奥大介いたときのマリノス強かったなぁ。今ごろサッカーやってるんじゃないかな。R.I.P
pic.twitter.com/RRtV7v7SgI
— 斎藤 正臣/Masaomi Saito (@M_KING3338)
2014, 10月 17
移籍直後の磐田戦の奥は最高だった。FKの時に叫んだ。「決めろ!」「もしくはゴール裏のうるさい彼奴らにぶち込め!」
http://t.co/dwSb9xqtt7 #奥大介スペシャルなトリコロールの思い出
— malicia (@malicia_yfm)
2014, 10月 17
奥とドゥトラのコンビネーションはトリコロールの華だった。左と中央のパス交換はチームの安定をもたらした。そして久保。奥とのコンビは最もゴールに直結する凄みがあった。スーパーゴールの立役者は良き相棒のアシストがあった。
http://t.co/3jmyf9n9Ey
#fmarinos
— toricorock_fmarinos (@toricorock)
2014, 10月 17
お亡くなりになりました奥氏のご冥福をお祈り申し上げますとともに、そのご家族、ご友人の皆様に、心よりお悔やみ申し上げます。