その当時すでにデンマークの名門ブレンビューIFからオファーがあり、マトックス自身もすぐにでもヨーロッパに行きたいという気持ちがあったが、家にも近いアメリカのMLSでキャリアを始めることが自分にとっていいと思い至ったと語っている。

当時のマーティン・レニー監督から「もし手に入れられるのなら、いつだってスピード(ある選手は)欲しい」と請われたマトックスはバンクーバー・ホワイトキャップスから全体2位指名を受けて入団。自ら負った火傷もあって2か月間離脱することもあったが、前述のトロント戦でのスーパーゴールを決めるなどルーキーイヤーでいきなりインパクトを残してみせた。

2年目のシーズンはベンチスタートが多くなり、マトックス自身不満を抱えることになったが、チームはイングランドや他のMLSクラブからの獲得オファーを拒絶した。そして、3年目の今季はここまで27試合で6ゴールをマークしている。

ちなみに、ドラフトで自分を1位指名できたはずのモントリオール・インパクトに対して「彼らは僕をNo.1で選ばなかった。彼らが間違っていたと証明したかった」と言ってみたり、1年目については「ダレン(自分)がルーキーとしてチームを引っ張って、バンクーバーをプレーオフに連れてった。そうだろ?」と語るなど、率直に物を言うタイプでもあるようだ。

そんなマトックスがビッグスワンのピッチに立つようなことがあれば是非とも注目したい。

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