8月16日、『Guardian』は「今夏マンチェスター・ユナイテッドに加入したスペイン人MFアンデル・エレーラは、ここでなければ移籍することはなかったと話した」と報じた。
2011年から故郷のアスレティック・ビルバオでプレーし、チームの攻撃の中心選手として活躍してきたアンデル・エレーラ。チャンピオンズリーグ出場権獲得にも貢献したものの、今夏はマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を決断した。
アンデル・エレーラはユナイテッドというクラブが特別なものであることをアメリカで感じることができたと話し、ここでなければ移籍することはなかったと明かした。
アンデル・エレーラ
「アメリカに行くと、ホテルの外には1000人の人がいる。10万9000人の前でレアル・マドリーと対戦する。ユナイテッドのシャツを着ている人たちが、ロサンゼルス・ギャラクシー戦では8万人、ローマ戦では6万人集まった。
キャリントンでは毎日まだ会ったことのない誰かがいる。このクラブがどれだけ大きいものかということを感じる。
ドレッシングルームに入れば、フレッチャー、キャリック、ルーニー、ファン・ペルシーと会う。彼らは最高レベルで10年以上戦い、全てを勝ち取ってきた男たちだ。それが2,3人どころじゃないんだ。
僕はユナイテッドのようなクラブでなければ、アスレティック・ビルバオを離れることはなかったよ。他とは違うユニークなクラブだった。特別な哲学と素晴らしい人がいたよ。
僅かな人間しかあのクラブでプレーする特権は持っていない。そして、もしかしたらその10年はユナイテッドでプレーするためにあったのかもね。
しかし、ここはイングランドで最大のクラブで、新しいプロジェクト、新しい選手、新しいコーチがいる。彼らはユナイテッドをあるべきところに戻すという決心を持っている。
僕は25歳だ。離れるには適切なタイミングだと思った。出発する日が来るとは思っていなかったが、しかしユナイテッドは大きなチャンスであり、誰もが断ることが出来ないものだ。
(移籍交渉は揉めたと言われているが)
実際に起こったことよりも多くのことが言われていた。僕の視点からではもっと単純なものだった。ユナイテッドはアスレティックにオファーを送り、僕はクラブとの話し合いと求めた。話は聞いたがアスレティックは拒絶した。
そのあとユナイテッドはより多くのお金を持ってきたが、バイアウトに届かなかった。アスレティックはノーと言った。そういうことだ。
スペインでは、店に掛かっているシャツがそうであるように、選手にも公定価格が存在する。困難な決定ではなかった。
僕はビルバオで幸せだった。したがって、アスレティックのためにプレーすることを楽しみ、チャンピオンズリーグの権利を得た。全てを捧げ、楽しんできたということが出来る。
僕がアスレティックを離れることを好まなかった人がいることは理解しているが、大部分はそれがユナイテッドであったことに納得してくれると思う」