今季を通して新監督ルディ・ガルシアの下で好調を保つASローマは、昨夜同じ街の厄介な隣人、SSラツィオとのダービーを迎えることになった。重戦車の異名で愛された元イタリア代表FWクリスティアン・ヴィエリはコメンテーターとして試合前に、下記のようにこのダービーの持つ意味を端的に表現している。
「ラツィオに加入して言われたのは『ローマダービーを取れ。それ以外は気にしなくていい』ということだ」
この発言からも解るように、最大のライバルとの闘いは「勝ち点3」だけを取り合うものではない。相手を屈辱に落とし、勝利の美酒に浸る。二倍、三倍…その勝利の価値は何倍にも跳ね上がる。だからこそ、選手達も感情を剥き出しにして相手に挑みかかるし、それはローマとラツィオというクラブに所属し、ローマという街に住む者にとって当たり前のことなのだろう。
さて、この試合では攻撃力を生かして2位につけるASローマを率いるルディ・ガルシアとラツィオに戻ってきたエディ・レーヤの激しくぶつかり合う高レベルの戦術が見られた。今回は、ラツィオの「守備」とローマの「攻撃」から見るフットボールの進化について考えていきたいと思う。
序盤、好調を保つASローマ相手に完璧な守備を見せたのはラツィオだ。ジェルビーニョ、トッティが中盤と絡むように下りて行きながら、3センターのピアニッチとストロートマンが前に出ていく中央からのポジションチェンジを繰り返す攻撃に対し、ラツィオはどちらかというとスペースではなく人を見るスタイルで対抗。トッティ、ジェルビーニョにはDFラインからCBのビアーヴァやディアスが飛び出してフィジカルコンタクトを仕掛け、ギャップを受けようとするピアニッチとストロートマンには中盤の3センターで激しく潰す。
ここで面白かったのが、ペトコビッチ期のように「パスコースを切る」ことを最優先としてラツィオの中盤が守っていたことである。まずは有効な縦パスのコースを切ることで、パスを受ける相手が近くまで来なければならない状況を作り、そして一気に囲い込む。まずは縦パスを遮断することでMFが動いて受けにいかなければならない場面に追い込むことで、守備の選手たちが前を向いて激しくプレッシャーをかけることを可能としたのである。もともとペトコビッチには高い位置やサイドで守備を任されていたルリッチやゴンザレスをセンターハーフに起用したのもこの理由で、上手く彼らはコースを切り、パスを出されると走力を生かして挟み込む状況を作った。ピアニッチ、ストロートマンといった錚々たる面々を揃えた中盤であっても、流石に挟み込まれてしまってはなかなかボールを扱えない。
そして言及しておかなければならないのは、この状況を作るために前線もハードワークをしていたことである。DFラインで自由に回されてしまっては、疲れるだけでなかなか「このような奪いたい形」に持っていくことは難しい。それ故にカンドレーヴァ、クローゼ、ケイタの3人は積極的にローマのDFラインでのパスワークを潰しにいっている。端的にまとめれば、ローマの全員での攻撃を制限するために、ラツィオも全員がハードワークをしていたということである。また、この形は「流動的」にポジションが変わるとしても中盤からの縦パスを誰かがギャップで受けることを得意とするというローマの特質上、非常に効果を発揮したのだ。コースを切ることでギャップを狭め、更に運動量で挟み込む守備によってギャップを埋めてしまうことによってなかなかローマは序盤狙った形で攻撃を繰り出せなかった。
しかし、ここで止まらないのがローマというチームの恐ろしいところである。一つの生き物のように動きを変えていくことが出来る彼らには、多くの「選択肢」が存在しているのだ。
中央を破れないと悟った彼らは、まずはサイド攻撃を中心に変更。ジェルビーニョやマイコンといったキレ味のあるドリブルが出来る選手によって、サイドから積極的に仕掛けていく。ここで特に苦しかったのが左サイドで、前からのプレッシャーに走り回った若きバルセロナ育ちのアタッカー、ケイタには戻っての守備は荷が重かったのだろう。積極的に敵陣に侵入するマイコンに手を焼き、徐々にペースがローマに移って行く。動画43秒の、ジェルビーニョとの連携でサイドを破り、マイコンからの逆サイドへのクロスボールは典型的な崩しの形である。動画1分16秒も似た形で、ジェルビーニョに釣られたところでマイコンが中に切り込み、シュートを狙っている。
そして、このサイド攻撃はそれのみに意味があった訳ではない。前半の執拗なサイド攻撃で中央への意識が薄くなり、走らされたラツィオの中盤は後半になってよりDFラインに近いところに張り付くしかなくなってしまったのである。サイドに一度ボールを出されては縦パスを封じる2人の意味はなくなってしまう。
そして中盤がDFラインに近くなってしまえば、ローマは更に得意のパターンを仕掛けていくだけである。ピアニッチやジェルビーニョがボランチの前でボールを受けると一気にドリブル。引きだすようにボランチを無理やり自分に引き付け、そこからギャップを作り出しては周りを使っていく。2分50秒のシーンでは下りて行ったトッティが起点になり、受けた選手がドリブルで引き付けながらのパスを続けることでラツィオの守備をかき回している。3分53秒のシーンもローマというチームらしい、ギリギリでのパス回しで中盤を簡単に切り裂いて大きなチャンスを作り出している。
結果的に同点で終えたのは、ラツィオの選手達の献身が大きい。実際カウンターを中心にいくつか得点機を作り出したことからもわかるように、ポジションにこだわらず人を潰していく守備はある意味で「最先端の攻撃」を封じる1つの手なのだろう。数的有利を上手く作り出すためにボールの奪いどころを定める方法論も、勿論守って行くためには必要だ。
しかしそれ以上に末恐ろしいのはASローマである。指揮官の指示というよりも、チーム全体がやるべきことを理解して「最善手」を繰り出しながら相手の王に1手1手近づいて行くような攻撃は本当に恐ろしい。ある意味でペップ・グアルディオラが現代サッカーに投じた「完成した2つの選択肢を相手の状況ごとに使い分けることで、相手の目論みを崩してコントロールする」という革命的なアイディアの行き着いた場所の1つがここにあるのだろう。指揮官ルディ・ガルシアが今後どのようなチームを作って行くのか、非常に楽しみでもある。
何にしても今回のローマダービーは、様々な議論の的になるポイントを我々に提示してくれたように思える。フットボールの進化―。もしかしたらその一端を担う何かがイタリアの首都に隠れているのかもしれない。
筆者名:結城 康平
プロフィール:「フットボールの試合を色んな角度から切り取って、様々な形にして組み合わせながら1つの作品にしていくことを目指す。形にこだわらず、わかりやすく、最後まで読んでもらえるような、見てない試合を是非再放送で見たいって思っていただけるような文章が書けるように日々研鑽中」
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