Qolyアンバサダーのコラムニスト、ロイすんによるレポートをお届けします。

クラブの黄金期、ファンを魅了した名チームの中心メンバーを紹介する本企画。

今回は、監督に名将マルセロ・ビエルサ、エースのカルロス・テベスを中心としたタレント力を武器に、6戦全勝、17ゴール無失点という圧倒的強さでアテネオリンピック金メダルを獲得した、2004年の「U-23アルゼンチン代表」だ。

当時の中軸を担ったキープレイヤーを紹介しつつ、オリンピックの歴史を振り返っていこう。

カルロス・テベス

生年月日:1984年2月5日

当時の所属クラブ:ボカ・ジュニアーズ
アテネ五輪成績:6試合・8得点

ほぼA代表で構成されたタレント軍団のなかでも、一際輝きを放ったのが、背番号10を託されたカルロス・テベスだ。

トヨタカップ2003でボカを世界一に導いたカルリートス(テベスの愛称)は、初戦の2ゴールで勢いに乗ると、準決勝のイタリア戦、決勝のパラグアイ戦と重要なシーンでもゴールを挙げ、エースとしての職務を全う。6試合8ゴールで大会得点王に輝いた。

その後は、マンチェスター2強やユベントスといったビッグクラブを渡り歩き、数々のタイトルを獲得。ユナイテッド時代には欧州制覇も経験している。

ハビエル・マスチェラーノ

生年月日:1984年6月8日

当時の所属クラブ:リーベル・プレート
アテネ五輪成績:6試合・0得点

リバプールやバルセロナのレジェンドであり、アルゼンチン代表歴代2位の147キャップを誇るハビエル・マスチェラーノも、五輪サッカー史に残る名チームの中心にいた人物だ。

十八番のボールハントで、アンドレス・ダレッサンドロ、ルチョ・ゴンサレスの守備の負担をしながら、シンプルな配給で攻撃のスイッチを入れるなど、攻守に大車輪の活躍を披露。全試合先発フル出場で、金メダル獲得の立役者となった。

マスチェラーノは、さらに4年後の北京五輪にもオーバーエイジとして参戦。出場資格が23歳以下に変更された1992年バルセロナ五輪以降、初となる2大会連続金メダリストという偉業を達成している。

ヘルマン・ルクス

生年月日:1982年6月7日
当時の所属クラブ:リーベル・プレート
アテネ五輪成績:6試合・0得点

オーバーエイジ枠の1人で、主将として最終ラインを統率したロベルト・アジャラの活躍も見事だったが、ゴールマウスを託されたヘルマン・ルクスの貢献も忘れるわけにはいかない。

名門リーベルの守護神でもあったルクスは、初戦からファインセーブを連発。史上初の無失点優勝に貢献した。

残念だったのは、その後のキャリアが停滞してしまったこと。欧州に渡りマジョルカやデポルティーボでプレーしたものの、控えに回る機会が多く、最後までアテネ五輪の時のような輝きは見られなかった

ライター:ロイすん
フランスW杯以降を海外サッカーの魅力にハマり、観戦歴は20年以上に。 
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