かつて日本代表として活躍した中田英寿さん。先日にはローマ時代のチームメイトであるフランチェスコ・トッティと日本で再会を果たしていた。

当時、世界最高だったセリエAで活躍したヒデは、技術とフィジカルを兼ね備えた日本人離れした存在だった。

そんなヒデの伝説として知られるのが、2001年に行われた日本代表対フランス戦だ。

日本は敵地スタッド・ド・フランス(サンドニ)で0-5と惨敗。ひどいピッチコンディションのなかで、ヒデだけは違いを見せ続けた。

あの一戦に先発した元日本代表DF服部年宏さんが、前園真聖さんのYouTubeチャンネルに登場。

当時をこう振り返っていた。

「(ヒデは)フィジカルのところもしっかりしてた。

フランスで0-5でやられた時に本当にヒデだけが…。

(他の日本選手は)もう全然動けない、(ピッチが)グチャグチャで。ポイント式のスパイクを履いていても滑る…。

2000年かな(実際は2001年)。ヨーロッパでやってて(ヒデは)フィジカルコンタクトで全然負けない、やっぱり体幹と。

あとはみんなズルズルだし…。海外の選手は固定式でやってるんだけど、平気なのよ、フランスのやつらとか」

ジネディーヌ・ジダンやティエリ・アンリ、ダヴィド・トレゼゲらにゴールを奪われるなか、ヒデはひとりだけフィジカルでも違いを見せていたとのこと。

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なお、左サイドバックだった服部さんは背番号が6だったため、7番のヒデとはロッカーで隣になることが多かったそう。ヒデは試合前にもかかわらずロッカーで読書をするなど異端な存在だったとのこと。

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