近年、海外でプレーする日本人選手は爆発的に増加した。

それによって活躍する選手は増えているが、当然ながらそうでない選手たちもいる。そして、異国に粘り強く居続ける者もいればそうでない者も…。

そこで今回は、良くも悪くも潔かった「ヨーロッパ挑戦から短期間で日本に帰国し、再挑戦しなかった選手たち」をご紹介しよう。

槙野智章

在籍期間:2011年1月~2012年1月(8試合0ゴール)
在籍したクラブ:ケルン(ドイツ)

地元サンフレッチェ広島でリーグを代表するDFへと成長した槙野は、ケルンのSDを務めていた元浦和監督フォルカー・フィンケ氏の誘いで欧州移籍した。

ケルンではクラブの総大将だったルーカス・ポドルスキと親交を深め、後に「ケルンの町が大好き。暮らしやすいし町の人も親切」と振り返ったが、出場は1年間でわずか8試合だった。

そんな折、広島時代の恩師ペトロヴィッチ監督が就任した浦和からオファーが届き、「自分のプレーを早く取り戻すために」と1年での帰国を決断した。

結果的には英断だったのかもしれない。浦和で一流選手となり、2018年ワールドカップにも出場。昨年限りで現役を引退し、タレントとしても活躍している。

小笠原満男

在籍期間:2006年8月~2007年6月(6試合1ゴール)
在籍したクラブ:メッシーナ(イタリア)

鹿島アントラーズの選手は海外に合わないのではないか?ファンの間でしばしば囁かれていることだ。

地域柄、あるいは伝統的に寡黙で“背中で見せるタイプ”の選手が多いことがその理由の一つとして推測できるが、レジェンドである小笠原はまさにそうした選手の代表例だろう。

メッシーナでの出場は1シーズンでわずかに6。中田英寿や中村俊輔と同じトップ下の“王様”として海を渡ったが、ポジションもボランチに下げられた。

しかしこれが彼の転機となり、イタリアで球際の激しい守備を覚えた小笠原は、ボランチとして鹿島の黄金時代を築いていった。