ジュビロ磐田の42歳、遠藤保仁が健在だ。

すでにJ1最多出場記録保持者でもある稀代の司令塔は出場するたびに記録を更新する「生き字引」のような存在。その数字は原稿執筆時点で663試合にまで延びている。

今回は、現在も国内最高峰の舞台でプレーする遠藤保仁の凄みを深堀りしたい。

イニエスタですら出場が制限される中で稀有な存在

遠藤は1999年にナイジェリアで開催されたワールドユース(現U-20ワールドカップ)で準優勝。

「黄金世代」と呼ばれ、当時のメンバーであるMF小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)やMF稲本潤一(南葛SC)も未だ現役を続けるレジェンドだが、彼らは2016年以降のJリーグで年間500分間以上プレーしたことがない。小野は今季J1で2分間の出場のみで、稲本は地域リーグでプレー。44歳となった中村俊輔(横浜FC)もJ2で29分間の出場に止まっている。

レジェンドと言えば、世界的名手であるヴィッセル神戸の元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタもその一人。神戸は監督交代を繰り返しているが、遠藤よりも4つ年下であるイニエスタの起用法がミゲル・アンヘル・ロティーナ前監督解任の引き金になったと報じられる向きもある。

彼らのような歴戦の猛者たちでさえ加齢による衰えや怪我が増えて試合出場が制限される中、遠藤は稀有な存在だ。22節までの明治安田生命J1リーグでは夏場の連戦下で1度だけ先発を外れたが、全試合に出場(※翌23節の湘南ベルマーレ戦はベンチ入りしたものの不出場)。J1での出場時間1742分間は、DF伊藤槙人(1801分)に次いでチームで2番目に多く、すでに3アシストを挙げている。

2020年10月、遠藤は出場機会を求めて20年近くプレーして来たガンバ大阪から当時J2の磐田へ期限付き移籍。昨季はチームの大黒柱として35試合(先発34)に出場し、J2優勝&J1昇格の原動力となった。サックスブルーのユニフォームを着て3年目となった今季から完全移籍に移行し、J1でもチームの主力としてプレーを続けている。