ミヒャエル・バラック
2006年 バイエルン・ミュンヘン⇒チェルシー
バイエルンとの契約が満了となった皇帝は、マンチェスター・ユナイテッドを蹴って、チェルシー入りを選んだ。ただ、移籍1年目は低パフォーマンスに加え怪我もあり失望に終わる。そのため、1年で退団する可能性すらあった。
だが、チーム残留を決めると、疑念を抱く人々にそれが間違いだと自ら証明してみせた。2007-08も素晴らしかったシーズンのひとつであり、翌季はさらにいいパフォーマンスを見せつけた。
最終的には、30代の選手に対して1年間の契約延長しかオファーしないというロマン・アブラモヴィッチ氏の方針によってバラックは退団を決断。ただ、当時のカルロ・アンチェロッティ監督は彼を保持したがっていたとされており、いかに評価されていたかが分かる。