『The SUN』によれば、彼は以下のように話したとのことだ。
デクラン・トンプソン
「歩けなかった当時に僕が最も傷ついたのは、クリスマスの祭りに行って、人々が僕の方に目をやって笑っているのを見たときだね。
他の人を見て、『あれは自分たちよりも劣っている者だ』と思っている人に言いたい。そうではないんだとね。
僕は車椅子でもサッカーになんとか参加していたよ。友達がボールを蹴っているのを見て、自分もやりたくなってね。まあその時点ではサッカー選手になるというよりも、ただ楽しむだけだったけど。
自分は何かをやろうとするタイプの人間だ。誰にも止められることはない。
父が選手をやっている時は忙しかったから、祖父のクレイグがあらゆる試合に連れて行ってくれた。
彼は数年前に心臓発作を起こしてから体調が良くないのだが、祖父はそれに影響を受けることをしない。彼は僕よりもメンタルが強くて、そこは学ばされているよ。
父親とともに、彼は僕が選手になるにあたって大きな役割を果たしてくれた。日曜日には彼の家に言って、エクセター戦で着ていたシャツを渡したよ。
(父リーの映像が話題になったね)そうだね、父親のほうが僕より有名になったね!
感情的になりすぎて、僕もあのビデオを最後まで見られなかったよ。ツイッターで自分の姓が流れているのを見て、とても誇りに思う。
できることもできないことも、制限はないんだ。何かになりたいなら、それが配管工であろうと、サッカー選手であろうと、思うことは自由なんだからね。
僕は今ここから一気に進んでいきたいし、誰もが知っているような選手になりたいね」
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