かつてアーセナルなどで活躍した元フランス代表MFロベール・ピレス。ガナーズでは“インヴィンシブルズ”の一員として一時代を築いた。
その彼が『AS』のインタビューでこんな話を明かしていた。
ロベール・ピレス
「(2000年にマルセイユでUEFAカップで準優勝した後、君はレアル・マドリーとの契約にかなり接近していた。ユニフォームと一緒にポーズもとったね。最終的にアーセナルに移籍したけれど、実際には何があったのか?)
光栄だったけれど、自分にとって非常に難しい時だった。
レアル・マドリー、ユヴェントス、アーセナルのなかから選ばなければいけなかったからね。
僕はマドリーと契約するところだった。
でも、アーセン・ヴェンゲルが何度も電話をくれてね。最終的に彼に説得されてしまった」
「(レアルと契約しなかったことで君の家族が激怒したというのは事実?)
本当だよ。何よりも僕の母親はスペイン人だからね。
ロンドンのアーセナルに行くって母に電話したら、『あんたはいかれてる、英語も話せないのに。その能力があるなら、スペインに絶対行くべき!』って言われたよ。
皆からレアルを断ることはできないと説かれたけれど、僕はそれをやったんだ」
「(レアルでもアーセナルと同じように勝てたと思う?)
難しい質問だね。アーセナルに6年いて、とてもハッピーだった。
いくつかのアザ(失敗)のひとつは2006年のCL決勝でバルサに負けたことだね」
アーセナルでは背番号7で大暴れしたピレス。仰天のオシャレシュートを叩き込むなどセンス溢れるプレーでファンを魅了した(以下動画35秒~)。
ヘアバンド姿も印象的だ。
また、ピレスはヴェンゲルも自分と同様にレアルからのオファーを断ったとも明かしている。