先日、プレミアリーグ推進委員会が「歴代最高の選手」としてピックアップしたティエリ・アンリ。アーセナルで長くエースとして活躍し、様々な美しいゴールを生み出してきた。

この柔らかさと正確性、そしてスピード…あまりにも見事だ。

ただ、彼は2007年に8年間プレーしたアーセナルを離れ、バルセロナへと移籍することに。スペインでは当初かなり苦しんだものの、3年目にようやく復活してタイトルに貢献する…というキャリアになってしまった。

なぜ苦戦したのか?『Metro』によれば、Pumaの企画でセルヒオ・アグエロと対談した彼は以下のように話したという。

ティエリ・アンリ

「バルセロナに行った時、私は違うタイプの試合を再学習することになった。

なぜなら、アーセナルではデニス・ベルカンプがいて、あるいはヌワンコ・カヌがいたからね。

君(アグエロ)がフォルランとプレーしたときのようにね。アーセナルでは彼らがいたから楽だった。彼らは中央に残るのが好きだったから、私は戻ったり外に出たりできた。

だが、バルセロナではライカールト(当時の監督)から左サイドに張ることを頼まれた。

それからジョゼップ・グアルディオラ監督がやってきて…彼はとにかく素晴らしいコーチだが、非常に要求が厳しく、激しい。まるでチェスをしているようなものだ。

誰もが自分のやることを進歩させたいと思っている。中盤の選手が動くべき場所に動けるようにできるだけ大きなスペースを作ってやる必要があり、そのために自分のポジションにとどまらなければいけないと。

さらに、相手のバックラインを外すために空走りをしなければならない。10番の選手にスペースを与えるためにね。

なぜなら我々は1人のボランチと2人の10番でプレーしていたし、常に裏に向かわなければならなかった。イニエスタがボールを受けたがっていたら、そうしなければスペースを殺してしまう。

そして私はスペースを理解し始め、それを使うようになった。別のタイプの試合だったね。それに適応できたあと、2009年には獲得できるすべてのタイトルを手にできた」

【関連記事】アンリに罵倒された!レーマンが明かすアーセナル加入時のエピソード

同じ攻撃的なサッカーを志向するチームであっても、要求されるシステムは全く違っていた…とのこと。

【厳選Qoly】東南アジア最強を決める三菱電機カップで日本出身選手が躍動!活躍する日本出身の5選手を紹介