2000年シドニー五輪 中村俊輔

中田英寿を筆頭に高原直泰、稲本潤一ら大器が揃い、“史上最強”との呼び声も高かったシドニー五輪。“黄金世代”とも呼ばれたそのチームで「10番」を勝ち取ったのは中村だった。

日本は前評判通りの快進撃で南アフリカ、ブラジル、スロバキアという難敵が揃ったグループを突破。準々決勝でランドン・ドノヴァンらを擁する伏兵アメリカに惜敗したものの、2年後に自国開催するワールドカップとそれ以降の未来に期待を抱かせるのには十分なベスト8であった。

中村はその後、2000年のアジアカップで日本代表メンバー入りを果たしたが、2002年ワールドカップは当時のフィリップ・トルシエ監督の非情な決断により最終選考で落選。ただそれをバネにセルティックで英雄的存在となり、2006、2010年と二度ワールドカップに出場した。

40歳となった現在もJ1のジュビロ磐田に所属し、若手のお手本となるようなプレーをし続けている。