2003年大会:イスマイール・マタル(UAE)

当時所属:アル・ワフダ(UAE)

現所属:アル・ワフダ(UAE)

世界的には決して成功したとは言えないかも知れないが、UAE国内ではもはや生ける伝説と言える存在となったイスマイール・マタル。

現在でも代表の「10番」はオーマル・アブドゥルラフマンではなく彼であり、もはやUAEの中山ゴンといっても過言ではない。

坂田大輔が得点王となり、大熊監督の名言「サンキュー坂田」を生み出した大会として知られる2003年。地元開催のUAEはベスト8進出を成し遂げる大健闘を見せ、その中心的存在がこのマタルであった。

2001年大会:ハビエル・サビオラ(アルゼンチン)

当時所属:リーベル・プレート(アルゼンチン)

現所属:引退(オルディノ アシスタントコーチ)

大会最高記録となる11ゴールを決めてMVPにも輝いた「コネホ」、永遠の童顔ハビエル・サビオラ。世界有数の若手選手として評価を高め、この大会後にバルセロナへと引き抜かれている。

ところが、そのバルセロナで彼はどうも高い評価を得られない状況に。2年目にはクラブも低迷し、サビオラもゴールを2桁決めながら批判されることになった。

モナコとセビージャへのローンを経て、なんとレアル・マドリーへの「禁断の移籍」を行うも、そこでもスーパーサブとしての起用に留まり、2009年にはベンフィカへ。

その後はマラガ、オリンピアコス、エラス・ヴェローナを経て古巣リーベルに復帰し、昨年現役を引退。現在はアンドラ1部のオルディノでアシスタントコーチを務めている。

【次ページ】『NEXT』が16年後に…