7日、横浜F・マリノスはポルトガル人FWウーゴ・ヴィエイラの獲得を発表した。

日本とポルトガルの関係は鉄砲が伝来した16世紀から約470年に及び、バッテラ、カステラ、かるた、金平糖などはポルトガル語を語源とすることで知られている。

ただサッカーとの関わりでは、フットサルのポルトガル代表リカルジーニョがかつて名古屋オーシャンズに所属していたものの、ポルトガル語を話すブラジル人が数え切れないほどいる一方でJリーグにポルトガル人は極めて稀である。

そこで今回は、過去に日本へやってきたポルトガル人をご紹介しよう。

カルロス・ケイロス

名古屋グランパスエイト(1997~1998)

マンチェスター・ユナイテッドで“サー”アレックス・ファーガソン氏の右腕となり、その名を世界的なものとしたカルロス・ケイロス。

その後、ポルトガル代表の指揮官として2010年ワールドカップに出場し、2011年からはイラン代表を率いて世界でも戦えるチームを作り上げている。

その彼は1996年途中、アーセナルへ引き抜かれたアーセン・ヴェンゲル監督の後継として名古屋グランパスエイト(当時)の監督に就任。任期中Jリーグでの成績は奮わなかったが、1997年のアジア・カップウィナーズカップでは準優勝を成し遂げた。

そんな彼は、これまでJリーグで指揮した唯一のポルトガル人となっている。

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