『Ghanaweb』は、「イフィーニイー・ユーバーFCを退任した八橋健一監督は、ハーツ・オブ・オークよりもクラブの状況が悪かったと話した」と報じた。
昨季ガーナの名門ハーツ・オブ・オークで監督を務めたものの、後にフロントとの関係が悪化しシーズン途中で辞任した八橋健一氏。
先月ナイジェリア・プレミアリーグのイフィーニイー・ユーバーFCの指揮官になることが決定し、アシスタントであったヤウ・プレコも呼び寄せていた。
ところが、先日から行われていたプレシーズントーナメントのNPFLスーパー4で2連敗し、その後突然解任されることになった。公式のアナウンスは出ていないが、これはどうやらまだ契約が始まっていないことになったからであるようだ。八橋健一氏は自身のツイッターで既にナイジェリアを離れたことを明らかにしている。
ナイジェリア終わり,イスタンブールで楽しんだあと,日本へ。前へ進むだけ! pic.twitter.com/RXGwUygTUL
— Kenichi Yatsuhashi (@keni_yats_coach) 2016年12月13日
わずか2試合、しかも公式戦を一つもやらないまま解任されることになった八橋健一監督は『Goal』に対して以下のように話し、チームの状況が悪すぎると訴えたという。
八橋健一
「イフィーニイー・ユーバーFCに私が来て以来、ナイジェリアでは幾つかのネガティブな報道があった。そして、私はそれに対応することを余儀なくされた。
クラブに加入した時、クラブのフロントとは選手のセレクションについて意見の不一致があった。そして、かつてパルマの選手だったと主張する人物らによって、私は非難された。
私は、2部練習をしろというような幾つかの命令に抵抗することを選んだ。なぜなら、我々は準備に2週間しかなかったし、別の問題を引き起していたからだ。もしそうしていたら、選手たちは壊れていただろう。
給料については絶たれた。私に約束されたもの、そしてチームに約束されたものは届くことはなかった。
そして、地元のメディアと一部のファンは、私の悪評を広げた。なぜなら、私は彼らの独裁的な方針に反対したからだ。
スーパー4の2試合目が終わった後、会長は口頭で私に辞任するよう頼んできた。そして、私はそれに合意した。
彼は考えていたのだ。私がそれを拒否し、チームに残らせてくれるよう願うだろうと。しかし、それは私の哲学ではない。
正直に言って、これらの人々はハーツ・オブ・オークよりも酷かった。
会長からは、私の契約はまだ始まっていないということだった。なぜなら、リーグが開幕した時にそれが始まるからで、私の将来はチームのパフォーマンスによって決まるからだと。
私はそれに反論はしなかったが、『FIFAに訴える』と脅すまで、彼らは日本へ帰国するチケットも用意することを拒否していた。
幾つかのマスメディアによって、『練習のスタイルがフィジカル的過ぎるために苦しんでおり、戦術面が稚拙であることで選手が苦しんでいる』と書かれた。しかし、それは問題ではなかった。
むしろ、それはクラブのフロントがサポーターに信じて欲しいものだった。それらの人々に送られたニュースだった。
事実、昨季の中心選手は私に言ったよ。リーグやCAFコンフェデレーションズカップに勝つチャンスを増やすためには、フィットネスは重要な鍵になると。
私はハーツ・オブ・オークでも同じようなことを経験した。しかし、開幕からの5試合を終えて首位に立つと、同じ人々が私を賞賛し始めたのだ」