中山 雅史(アスルクラロ沼津)
背番号の変遷
【ジュビロ磐田】
#9 :1997 - 2009年
【コンサドーレ札幌】
#9 :2010 - 2012年
【アスルクラロ沼津】
#39:2015年 -
昨年、47歳にしてJFLで現役復帰を果たした“炎のストライカー”こと中山雅史。磐田時代、背番号固定制が導入された1997年以降は常に「9」をつけてきたが、それ以前の変動制の際にも9番をつけなかったのはわずか2度のみであるという。1998年のワールドカップではこの番号をつけて日本代表史上初のゴールをジャマイカから奪っており、2002年のワールドカップでは10番が与えられている。なお、失点後にベンチで倒れ崩れるシーンが印象的な「ドーハの悲劇」では16番をつけていた。