2016年のリオ五輪に向けた予選を3位で終えたなでしこジャパン。シドニー五輪以来の予選落ちということもあって、佐々木則夫監督は「僕のせいですから、しっかりと責任をとって。新たななでしこジャパンを後押ししてください」と語った。一部では退任へ向けたメッセージだとも言われている。
今回の予選ではその選手起用や采配に批判もなされたが、佐々木監督が残した記録は非常に素晴らしいものである。今回は、彼が残した功績を就任以前・以降で見ていこう。
女子代表に初のタイトルをもたらす
信じられないかもしれないが、なでしこジャパンは佐々木則夫監督になるまでタイトルを獲得したことはなかった。2008年、東アジアサッカー女子選手権で優勝したのが初めてのことである。
五輪で初のベスト4、メダル
2004年のアテネ五輪でベスト8入りしていたため、なでしこジャパンは昔から強かったという印象が強いだろう。しかし、上述の通りシドニーは予選落ち、アトランタ五輪でもグループリーグ敗退を喫している。
2008年の北京五輪でベスト4、2012年のロンドン五輪で準優勝したのは歴史的快挙である。
FIFAランクを3位に押し上げ
現在、FIFAランク4位のなでしこジャパン。最高で3位にまで向上したが、元々女子サッカーはアジアでは北朝鮮の方がFIFAランクで上位の存在であった。
佐々木監督就任前、2007年12月のFIFAランクは11位(北朝鮮6位)。佐々木監督就任後も2009年3月は北朝鮮が5位、日本が7位としばらくは北朝鮮がアジアの女子サッカーの盟主だったのだ。