今から13年前の2002年5月15日。スコットランドのハンプデン・パークで、サッカー史に残る「伝説のボレー」が生まれた。
そのゴールは、各方面で「サッカー史上最高のゴール」と評価されている。
あまりに美しいフォームから繰り出されたそのシュートは糸を引くようにして伸び、スタジアムのボルテージは一瞬にして湧きあがった。そして、そのゴールが生まれた舞台は何よりも劇的であり、その男にとってこれ以上ないほど大きな意味を持つ一撃であった。
そのゴールとは、2001-02シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝レヴァークーゼン対レアル・マドリー戦でジネディーヌ・ジダンが叩き込んだボレーシュートである。
このシーズンの開幕前、ユヴェントスから当時の移籍金最高額となる8000万ユーロ(当時のレートでおよそ88億円)でマドリーへと移籍してきたジダン。ユヴェントスでも順風満帆なキャリアを送っていたがビッグイヤーには一歩届かず、マドリーへの移籍はこのタイトルを獲るためだったとも言われている。
そんな悲願を、ジダンは自らのゴールで手繰り寄せる。
1-1で迎えた45分、ロベルト・カルロスからの山なりのクロスボールがジダンの頭上に上がる。この時、レヴァークーゼンの最終ラインはマドリーの2トップ、ラウール・ゴンザレスとフェルナンド・モリエンテスに引き寄せられ、ジダンは完全にフリーだった。
その瞬間、時は完全に止まった。そしてボールが落下してきたその瞬間、ジダンの左足からあのボレーが生まれたのだった。
クラウス・トップメラー率いるレヴァークーゼンは、後半猛攻を仕掛ける。しかし、途中出場のGKイケル・カシ―ジャスが神がかり的セーブを連発し、マドリーが2-1と勝利。史上9度目となる欧州制覇を成し遂げている。
#OnThisDay in 2002, Zinedine Zidane's wonderful winner gave #RMCF their 9th #UCL title
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— FIFA.com (@FIFAcom) 2015, 5月 15
ちなみにこの8日前、マドリーはクラブ創設100周年記念試合として日本代表と親善試合を戦っている。
当時は日韓ワールドカップの開幕直前。日本代表にとっては貴重な強化試合となるはずだったが、試合が行われたサンティアゴ・ベルナベウは大雨となり、マドリーは主力を温存。試合は1-0でマドリーが勝利し、ジダンがこの試合でプレーすることはなかった。