フランシス・コクラン

「(飛躍を遂げた理由は何?)

僕は決して練習でズルをしなかった。16歳の時、皆が嫌がる有酸素運動を命ぜられた時もちゃんとやったよ。僕一人だけだったけどね。

そして、必要なときに私生活を安定させられたこともだ。2年前に子供を持つ誰かと出会った。それは自分に責任を生み出してくれた。

(昔貸し出されたフライブルクでは厳しかった?)

あのクラブでは僕は16試合に出ただけだ。あそこでは左か、右のMFで使われた。僕のポジションじゃなかったね。

ただ、あそこで僕はかつてないほど走ったよ。森の中を12kmは走った。そして午後はインターバルトレーニング。あるいは1000m走を12回だ。川の土手でね。

非常に厳しく、徹底されている。練習の後には回復のために1時間をケアに充てなければならない。それから僕は一度も怪我をしていないよ。

(今は夢のよう?)

子供の頃、僕はスポーツジャーナリストになりたかったんだ! だから文学の勉強を始めたけれど、15日で変わったよ。練習と両立できなくなってね。

僕はラヴァルのリザーブでプレーし始めたとき、サッカーで何かが出来るのではないかと思い始めた。そしてユース代表に入った。その時点から、ここまで至るためにできる限りのことをしてきた。

良い人生だ。良い町だ。しかし最も重要なのは、自分の周囲の人々がそれぞれに楽しめているということだ」

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