今週ミッドウィークにキャピタルワン・カップ準決勝のリヴァプール戦を迎えるチェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督。
スウォンジーとのリーグ戦を5-0で勝利し、チームの調子に満足感を感じていることだろう。
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— Chelsea FC (@ChelseaFC) 2015, 1月 17
そんなモウリーニョ監督にとってリヴァプールは、第1次政権下、非常に手を焼いた相手としても知られている。
リーグ戦では圧倒しタイトルレースでもリードしていたものの、ヨーロッパの舞台ではなかなか勝てず。2004-05シーズンのCL準決勝では議論を呼んだルイス・ガルシアのゴールの前に敗れ、2シーズン後に巡ってきたリベンジの機会でも、準決勝でPK負け。実に2度にわたり、リヴァプール相手に欧州制覇の夢を打ち砕かれてきたのだ。
2004-05シーズン、準決勝でチェルシーを下したリヴァプールは決勝でミランを大逆転の末破り、ビッグイヤーを獲得した。そのことがスティーヴン・ジェラードに残留を決心させたと伝えられている。そして、当時ジェラードにオファーを送ったとされるのがチェルシーのモウリーニョ監督であったというのだ。
あれからもうじき10年が経過するが、当時モウリーニョ監督はある中盤の組み合わせを夢見ていたようだ。
当時のチェルシーはラインを高く敷き、ウイングを起用した4-3-3。そのシステムを完全に機能させるために構想していた夢の3センターとは、一体どんな顔ぶれだったのだろう?
ジョゼ・モウリーニョ(チェルシー監督)
「マケレレ、ランパード、そしてジェラードがオープンな状態でトライアングルで組む中盤を夢見ていた。10番タイプの選手はなしだ。
我々はそれを夢見ていたんだ。私も、ミスター・アブラモヴィッチ(会長)も、ピーター・ケニオン(当時CEO)もね。そして私たちはそれが起きるための全てのことをした。それはあと少しのところだったんだ。
彼の周りはそのことに対して、また当時はチェルシーのようなトップのチームに加入したいというその感情に対してオープンだった。しかし、彼は個人的に私に対して『移籍する』とは一度も言わなかった。本当に一切なかったよ」