QolyではブラジルW杯期間中、『美学生図鑑』とのコラボ企画「ユニフォーム美女特集」をお届けしてきました。
ユニフォーム×美女という魅惑のセットは大勢のファンの方に支持され、これまでのQolyにはなかったまた新たな一面を飾ってくれました。この場をお借りして、ご協力いただいた全ての方に御礼を申し上げます。
実は、この企画が生まれた発端は、『美学生図鑑』にサッカー好きの方がいらっしゃったことでした。当初は「ユニフォーム美女特集」の企画について打ち合わせを行っていたのですが、話が進むにつれ当編集部とも意気投合。とても興味深い経歴をお持ちであり、「これは是非取材しなければ!」という展開に至りました。
そこで今回は、人気の美男美女スナップサイト 『美学生図鑑』で編集長兼カメラマンを務める辻村真依子さんにお話を伺い、彼女とサッカーについてのエピソードをご紹介しましょう。
辻村真依子さんは1989年11月22日生まれの24歳。学生時代から映像クリエイターとして企業から制作依頼を受けるなど、関西の学生界隈では名の知れた存在であった。そして2012年、『美学生図鑑』にカメラマンとして加入。その後は編集長に就任し、人気のWebメディアへと育て上げてきた。
そんな辻村さんは、なんと大学2年生の時にセレッソ大阪のホームグラウンドである長居スタジアムで、オーロラビジョンの映像中継カメラマンを担当していたことがあるというのだ。弱冠19歳の彼女が、どのようにしてそれほどまでの名誉を任されるまでになったのだろうか。
「サッカーに出逢うまで、私は本当に狭い世界で生きていたと思います。学校に行って、部活をして、家族と過ごして…。それがサッカーを知り、サポーターとして様々な活動を続けていく中で、いろんな価値観を持った人たちと出逢い、人間関係を築くことや自分の想いを誰かに伝えることの難しさ、行動することの大切さに気付きました。世界が広がりましたね」
辻村さんがサッカーと出逢ったのは中学3年生の時である。当時開催されていたアテネ五輪での大久保嘉人に惹かれ、セレッソ大阪の試合を見るようになった。彼女が始めてインターネットの検索エンジンで調べたワードも当然「大久保嘉人」であり、何百ページも遡って自身のアイドルの情報を引き出した。そんなミーハー心が、彼女とサッカーの関わりの原点なのだ。
中学生時代、友達を積極的に作る方ではなく、どちらかといえば1人で過ごすことが多かったという辻村さん。実際、彼女は極度の人見知りである。多方面でマルチな才能を発揮するそんな彼女だが、人とコミュニケーションを図ることをずっと避けて生きてきたのだ。
しかし、そんな彼女の性格をサッカーが、セレッソ大阪が、サポーター活動が変えた。ゴール裏には、学校ではまず知り合うことのないようないろんな世代の様々な価値観を持った人がいる。ある種“社会の縮図"とも呼べるそういった環境に身を置き、彼女の中の何かが変わったのだ。
「今の“自分"を作っているのは間違いなくサッカーです。十代でサッカーに出逢えたおかげで、より深みのある人間になれたかなぁと思うことは多々ありますね」
サッカーを「人生の恩人」だと話す辻村さんはその後、熱烈的なセレッソ大阪サポーターへと変貌していく。2004年J1 2ndステージ第11節の浦和戦で初めて長居スタジアムを訪れた辻村さんは、徐々にセレッソ大阪というチームへの愛を深め、頻繁にスタジアムへ足を運ぶようになる。
2005年12月3日、セレッソ大阪があと一歩のところでJ1制覇を逃したFC東京戦もゴール裏で観戦し、悔しさに打ちひしがれた。
「あと一点どこかでとれていたら、防げていたら、優勝できた。一点ならサポーターの力でどうにかできたはずだ」――。そんな想いに突き動かされ、2006年からはホーム・アウェイかかわらずほとんどの試合を現地へ駆けつけ応援し、全力でチームをサポートするようになる。
「それまで私は、全く行動力があるタイプではなかったんです。逆に、やりたいことがあってもなかなか勇気が出せない消極的な人間でした。でも、サッカーになるとなぜか熱くなってしまって、自分でも驚くほど熱い行動に出ていました」
その行動はスタジアム内にとどまらず、セレッソ大阪の事業部との意見交換会などにも積極的に参加するようになり、様々な側面から愛するJリーグクラブの支え方を考えるようになった。