(※情報元に加筆・修正があった為、随時加筆・修正しました)

マンチェスター・ユナイテッドの前監督、サー・アレックス・ファーガソンが、デイヴィッド・ベッカムと不仲になった理由やクリスティアーノ・ロナウドの”天賦の才”について最近の自伝で明かしたと『BBC』が報じている。

BBC Sport

2003年のFAカップでアーセナルに敗れた後に両者は不仲になったと言われてきたが、ファーガソンは以下のように語っている。

マンチェスター・ユナイテッドの選手が監督よりも偉大だと思った時、出ていかねばならなかった。

デイヴィッドはアレックス・ファーガソンよりも偉大と思ったのだ。

それが彼の終焉の前兆だった。

ファーガソンは、ベッカムが元スパイス・ガールズのヴィクトリア・アダムスと結婚した事によるセレブリティなライフスタイルについても語っている。

デイヴィッドは私が指揮した中で有名になる事を選び、ゲームの外で知られるのをミッションとした唯一の選手だった。

私は彼の生活のセレブリティな側面が気に入らなかった。

ファーガソンは火曜日の出版のプレスカンファレンスにおいて以下のように付け加えている。

「彼はヴィクトリアと恋に落ちた。それが全てを変えた」

だが、ファーガソンはベッカムのユナイテッドの成功に対する貢献を賞賛しており、「世界中の少年のアイドル」と読んでいる。

ベッカムはユナイテッドのキャリアでプレミアリーグを6度制覇、FAカップを2度、そしてチャンピオンズリーグを1度、獲得していたが、LAギャラクシーでプレーするためにアメリカへ渡る前、2500万ポンドで2003年の夏にレアル・マドリーへと移籍している。

ファーガソンは今年の5月に監督業からリタイア。イングランドサッカー史で最も成功した監督時代が終わりを告げた。オールド・トラッフォードで26年間の指揮を任された間、38のトロフィーを勝ち取っており、何人もの大物選手を指揮している。ベッカム、エリック・カントナ、クリスティアーノ・ロナウド、ピーター・シュマイケル、ブライアン・ロブソン、ロイ・キーン、ヤープ・スタム、そしてルート・ファン・ニステルローイなどである。

ファーガソンは引退後、自伝の中で以下のように綴っているという。

  • ウェイン・ルーニーは在任最後のシーズンにおいて”かつての猛威”を失っていた。それは十分にフィットしていなかったからだ
  • デイヴィッド・モイーズを残したのはルーニーが退団を志願した後でルーニーの未来を決めさせるためだった
  • クリスティアーノ・ロナウドは指揮した中で”最も才能に恵まれた選手”であり、”Wizard(=魔法使い、魔術師、天才)”と呼んでいた
  • ファーガソンはロナウドに「レアル・マドリーへ売却するくらいなら銃で撃った方がマシだ」と言った
  • ラファエル・ベニテスと不仲になったのは、個人攻撃を仕掛けてきたから
  • リヴァプールが人種差別に関してルイス・スアレスへのサポートを示すTシャツを着る決定をしたのはバカげている
  • イングランド代表の仕事を2度断った
  • 今でもオールド・トラッフォードのトンネルでピザを投げつけたアーセナルの選手がわかっていない
  • 2003年にドーピングテストを受けなかった事でリオ・ファーディナンドが8ヶ月出場停止となったのは厳しすぎた
  • ロイ・キーンの身体の中でもっとも厳しいのは彼の舌だ。彼は想像できる限り最低の野蛮な舌を持っていた
  • ブラジルのように技術的に恵まれた選手を生み出せるようになるまでイングランドはワールドカップに勝てない
  • 元マンチェスター・シティの監督であるロベルト・マンチーニがカルロス・テベスを2列目で起用したのは間違っている

ファーガソンは更にFAカップのファイナルでアーセナルに敗れたあとにベッカムとドレッシングルームで衝突した事についても詳細に記述している。

彼は私から12フィート離れた所にいた。

我々の間にはブーツが床に転がっていた。

デイヴィッドは悪態をついた。私は彼の方へ近づくために動いた。私はブーツを蹴飛ばした。それが右へ飛び、彼の目の上にヒットした。

もちろん、彼は立ち上がり私に向かってきた。そして選手たちが彼を止めた。「座れ」と私は言った。

「お前がチームを負けさせたんだ。好きなだけ言い争えばいい」

次の日、私はビデオを見せて検討するために彼に電話した。しかし、彼はそれでも自らのミスを受け入れなかった。彼は座って聞いていて、何も言わなかった。何もだ。

私は「我々は何について話しているか理解しているか?何故お前が責められているか?」と尋ねた。彼は何も応えなかった。

次の日、その話はメディアに出た。公となり、絆創膏がブーツによる深いダメージを強調していた。

その頃だった。私が役員会にデイヴィッドは出ていかねばならないと言ったのは。

レアル・マドリーのリーガ制覇に導いた後、ベッカムは2007年にLAでギャラクシーに加入するためアメリカへ渡った。そしてMLSカップ制覇へと導いている。

彼はまたハリウッドへ目を向けたんだと想像している。そのインパクトは彼のキャリアの次のステージになるだろうから。

アメリカへ行ったのにフットボール的な理由はない。

ファーガソンは同様にロナウドのオールド・トラッフォードからの退団を許している。だがレアル・マドリーはロナウドに対して8000万ポンドの支払いに合意している。

クリスティアーノは私が指揮した中で最も才能に恵まれた選手だった。彼は私がユナイテッドで指揮した全ての偉大なる選手たちを超越していた。

彼に近づけたのは自前の選手であるポール・スコールズとライアン・ギグスだけだった。何故なら彼らはマンチェスター・ユナイテッドに対して20年間という並外れた貢献をしたからだ。

ロナウドはレアル・マドリーへの移籍を直前の夏にも志願していた。だがファーガソンはレアル・マドリーのラモン・カルデロンの振る舞いが良くなかったため移籍の可能性をブロックしている。

ファーガソンはロナウドにカルデロンに売却するくらいならロナウドを銃で撃った方がマシだと言い、売却すれば名誉を失っただろうと主張している。

しかしながらファーガソンは選手に翌年移籍させる約束をした。レアル・マドリーがワールドレコードのオファーを送った時に。

ファーガソンは同様にマンチェスター・ユナイテッドに在任中、2度に渡りイングランド代表監督の仕事を固辞した事を明らかにしている。

グレン・ホドルとケヴィン・キーガンの後任として2度イングランド代表監督となることを求められたという。だが、オファーは即座に拒否したという。

それを熟考するという考えは全くなかった

それは針のむしろになる事ではなかった。私はかつて魔が差した事がある

ファーガソンのトロフィーは13のリーグタイトル、2度のチャンピオンズリーグ、そして5度のFAカップと4度のリーグカップ。

オールド・トラッフォードでの仕事を受けるためにエヴァートンを退団した同胞のデイヴィッド・モイーズが後を引き継いだ。

モイーズ体制下でプレミアリーグのディフェンディング・チャンピオンは24年間で最低のスタートを切ってしまい、順位表で首位のアーセナルから8ポイント離された8位に沈んでいる。

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