(記事内容を一部訂正しました)
多くのフットボーラーが、その自らの卓越した能力から様々な「異名」をつけられる。例えば、「El Niño(神の子)」フェルナンド・トーレス、「ウクライナの矢」アンドリー・シェフチェンコ・・・特に異名をつけるのを好む日本のメディアによってつけられたような日本代表の選手たちの異名まで含めたら、数えきれない「異名」がフットボール界には氾濫している。その中でも、とびきり我々の耳に心地よく響く異名がある。
「ジーニアス」という異名を持つセレッソのアタッカー、柿谷曜一朗。恐らく現在「コンフェデ時の日本代表」の壁を打ち破ってサッカー王国ブラジル行きの切符を手に入れる可能性が最も高い選手の一人である。それにしても、ポジションや似たプレースタイルの選手に関わったあだ名で呼ばれることが多い日本で「天才」、「ジーニアス」といった曖昧な異名で呼ばれるということは異質であるように思える。もともとはサッカーライターの金子達仁氏が命名したようだが、当然のように定着したということからは彼のプレーから伝わる「ワクワク感」をサポーターも鋭敏に感じ取っていたことが解る。更に、遅刻を繰り返していたことから徳島にレンタルされたという大きな挫折、そしてそこでの経験も彼を大きく成長させた。単なる天才少年は、その挫折を乗り越えることで「ジーニアス」へと本当の意味で変化した。「天才は万人から人類の花と認められながら、いたるところに苦難と混乱を惹起する。天才はつねに孤立して生まれ、孤独の運命を持つ」。これはドイツの作家ヘルマン・ヘッセの言葉であるが、その天才の苦難と混乱こそが凡人たる我々には美しく光り輝いて見えるのだろう。
さて、長い前置きはここで終わろう。今回は柿谷曜一朗という選手の特性と、その存在が日本代表に入った場合にもたらせるメリットなどについて論じていきたい。筆者はもともと、柿谷という選手をずっと追いかけていた訳ではない。しかしそれでも、たまに見るJリーグなどで彼がプレーしていると注目してしまう、そんな選手だとは感じていた。そんな風なザックリとした印象しか持っていなかったものの、今回の東アジア選手権でのパフォーマンスを見ているうちに「ジーニアス」と呼ばれるに相応しいその「特異性」がおぼろげながら見えてきた。さて、それはどういったものなのだろうか。
さて少し脇道に逸れてみよう。フランスの哲学者クロード=アドリアン・エルヴェシウスは、著書である「精神論」の中で、「天才とは通常一つの点以外では物を燃やさない煉瓦である」と述べた。しかし面白い事に、柿谷本人は「いろんな才能を持っている選手がいて、ボールを奪う才能や、ヘディングには絶対勝つ選手とか、(香川)真司くんやメッシみたいにゴールを取りまくれる選手とか。そういうのを全部できる人が、天才やと思う」と前掲の文章とは真逆に近い意味の発言をしたことがある。
閑話休題。柿谷本人のコメントから見える「天才観」と柿谷のプレースタイルの「特異性」は、偶然か必然か一致している部分がある。それは柿谷の「DFの背後」でも「DFの正面」でもプレーを持っているその幅広さである。更に言えば、彼はその傑出したテクニックでボールを持つことだけに集中せず、周りを生かす能力も非常に高い。「1つのことだけに長けた天才」ではなく、「様々なことをこなす天才」なのである。韓国戦の1点目のゴールで、当然のように裏に走り出すことによってシンプルにフリーになった受け手としてのFWらしい動き、そして回数は少なかったものの引いて受けてから前を向いて仕掛けていくMFらしいドリブル。どちらのプレーにおいても苦手なプレーをしている際に感じられる「澱み」がないように筆者には感じられた。状況においてするべきプレーを自然に察知して迷いなくそれに移る、とでも表現すればいいだろうか。こうしたプレイヤーは世界を見渡しても非常に少ない。もちろん得意なプレーを持つ人間しかヨーロッパのトップリーグには存在しないが、ドリブルやパスのスペシャリストは基本的に足元にボールを貰いたがるし、得点を取るスペシャリストはスペースでボールを受けたがる。日本代表でいえば前者が本田や乾、後者が香川や岡崎といったところだろうか。
それでも、世界の最先端は「スペシャリスト」であることに加えて「万能」であることを求めてくる傾向にある。「ピッチ上の全ての選手がパサーとなり、全ての選手がレシーバー(受け手)となる」ことを求めてくるのである。例えばバルセロナのイニエスタは、パサーとしてもレシーバーとしても、更にはドリブラーとしても十分な働きをこなす。CL王者バイエルンでは、リベリー、ロッベンがドリブラーとしてだけでなくチャンスと見ればレシーバーとして積極的に裏に走り込むし、受け手として世界一とも言われるミュラーがサイドに流れてドリブルを仕掛ける。もちろん現代のフットボールの流れに沿い、日本代表の選手たちも自分の得意ではないプレーをこなすことは出来る。しかし、それでも彼らは柿谷や上述したようなトップクラスの選手たちのように「遜色なく自然に」それらをこなすことは難しい。もちろん彼ら個々が持っていて厳しい海外リーグで研ぎ澄ました「武器」の威力は柿谷よりも上かもしれないが、それを生かせない場面も多数存在しているのも事実だ。こちらを立てればこちらを立たず、のように、ある選手が持ち味を出せばある選手は出せないようなことも日常的に起こる。
もちろん、チームの全員が全員こういった事が出来る選手なのであれば攻撃の幅は無限に広がりを見せる。しかし、それは恐らく世界で2、3の国だけが具現化出来る理想に過ぎない。では、柿谷の「特異性」はどういった風に日本代表に影響を与える可能性があるのだろう?ここで私が例として挙げてみたいのがイタリア、セリエAのインテルである。そして、個人的に私が柿谷とダブらせて見ているのがラ・ホジャ(宝石)、エル・ラジョ(雷)、ラ・ペルラ(真珠)という錚々たるあだ名で国内では活躍しながら、チームでは黒子的な位置に落ち着いているロドリゴ・パラシオというアルゼンチン人プレイヤーである。もちろん、インテルを観戦したことがあってパラシオを知る方々からは「柿谷はパラシオより才能がある!」という声もあるかもしれない。しかし、パラシオもアルゼンチン国内では最も鋭い突破が出来る選手と称された高速ドリブラーであった。そして、彼の存在がインテルの攻撃の幅を大きく広げていったのである。インテルの3トップのレギュラーは、パラシオの他はファンタジスタと称されるカッサーノ、そしてアルゼンチン人ストライカーであるミリートという2人のスペシャリストが担っていた。パラシオの良さは、非常に柿谷と似ている。ドリブルで仕掛けてよし、そして相手の隙をついて一気にDFラインの裏に侵入しながらカッサーノのスルーパスを引き出してよし。ミリートが中央でプレーしている際にはサイドで仕事をこなし、中央がいなければ中央でストライカーもこなす。何より、パラシオは地道に多彩なプレーをこなすことによって他のスターの個性を輝かせる能力を持っているのである。
ここで、日本代表に話を移してみよう。香川と本田というスターがチームにおり、清武や岡崎、FWの前田といった選手はどちらかというと彼らを輝かせるためにポジションチェンジに絡みながら黒子的なプレーをすることが多い。ここでFWか中盤かは置いておくにしても、柿谷という選手を加えた場合はどうなるだろう。もしかしたら彼の特異性によってより攻撃がより活性化し、香川と本田というチームの太陽が輝きを増すこともあるのではないだろうか。もちろん、そのためには柿谷に「黒子」的な役割をしてもらう覚悟は必要だろう。しかし、そういった役割をこなせる選手こそが本当の「ジーニアス」なのだと思うし、韓国戦を見ている限りチームプレーをこなす面では恐らく問題はない。もちろん「攻撃の切り札」枠で争うことになるだろう乾とて、決して低い壁ではない。圧倒的なドリブル能力と得点力、という意味では切り札としての威力は柿谷を超える。純粋なドリブラーをチームに入れていく価値、ということも考えるともちろん乾も重要なピースである。
それでも筆者は、切り札ではなく「黒子」としてチームに溶け込み、そこから「エース」へと駆け上っている柿谷を見てみたいと思う。そしてそれは、恐らく日本のフットボールファンを最も熱狂させる展開であるはずだ。
筆者名:結城 康平
プロフィール:「フットボールの試合を色んな角度から切り取って、様々な形にして組み合わせながら1つの作品にしていくことを目指す。形にこだわらず、わかりやすく、最後まで読んでもらえるような、見てない試合を是非再放送で見たいって思っていただけるような文章が書けるように日々研鑽中」
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