HOME > コラム > ヴァンフォーレ甲府・経営問題の現状 ヴァンフォーレ甲府・経営問題の現状 2012/11/02 10:00 Text by 駒場野/中西 正紀 サッカーデータベースサイト「RSSSF」の日本人メンバー。Jリーグ発足時・パソコン通信時代からのサッカーファン。FIFA.comでは日本国内開催のW杯予選で試合速報を担当中。他に歴史・鉄道・政治などで執筆を続け、「ピッチの外側」にも視野を広げる。思う事は「資料室でもサッカーは楽しめる」。 Twitter Facebook Others 記事一覧 Qoly読者の皆さん、はじめまして。RSSSFメンバーの中西です。先日Qoly編集部にインタビューをしていただいたご縁もあり、こちらでも私のコラムを掲載していただけることになりました。他の皆さんとは違った視点からサッカーの話をしていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。 このコラムで最初に取り上げたのは、ヴァンフォーレ甲府について。ご存知の通り、ヴァンフォーレは今年のJ2で既に優勝を決め、1年でのJ1復帰に成功している。一方、ヴァンフォーレはかつて深刻な経営危機に直面し、チーム解散の可能性が高かったが、ここから地元に密着した活動を展開して存続と強化につなげた「奇跡のクラブ」でもある。今回はこのヴァンフォーレの経営問題がどうなっているのか、そしてこのクラブが現在抱えている地域社会との課題について解説したい。 ☆3度目のJ1昇格で累積赤字は解消へ ヴァンフォーレは1997年に「ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ」として法人化され旧JFLに参加し、Jリーグ準会員チームに対抗したが、1998年には既に債務超過となっていた。J2参入後の2年間でも赤字は続き、2000年には債務額が4億5019万円に達してチームの存続が深刻な問題になった。そして最終的なチームの整理・解散を前提として山梨日日新聞社から送り込まれた海野一幸社長がいずれも前年実績の約2倍となる広告収入・クラブサポーター(ファンクラブ)会員数・1試合当たり平均観客数の3条件をクリアしてチーム存続にこぎ着けたのは、Jリーグファンの間では良く知られた展開である。 その後も含めたヴァンフォーレの経営状況は<表1>・<表2>である。出典は後述する「ヴァンフォーレ甲府経営委員会」の公開資料、及びそれを転記したWikipediaの該当項目である。 <表1>1997-2011年におけるヴァンフォーレ甲府の経営諸データ(単位:千円) <表2>1997-2012年におけるヴァンフォーレ甲府の広告収入(単位:千円)とクラブサポーター会員・1試合平均観客数(単位:人) <注>1997-2000年のクラブサポーター数と2012年の広告収入額は不明。1997年の平均観客数は調査中。2012年はクラブサポーター数が9月末日現在(2012年度会員募集締切時)、平均観客数は第40節終了時(20試合消化、残り1試合)の数値。 <表1>の通り、2001年の黒字額は258万円で累積債務額の1%も満たせず、「暫定的な存続」という実態が強かった。しかし3年連続最下位を脱出した2002年以降、その黒字額は広告収入と共に増加していった。ヴァンフォーレは「存続フィーバー」から徐々に地域社会へ定着し、2004年には平均観客数がクラブサポーター会員数を上回って「助ける対象」から「見て楽しむ存在」へと変化した。 次の転機は2006年のJ1昇格だった。<表2>で示したように広告収入が前年比で132%増となり、営業収入全体でも2倍の13億4千万円に達した。クラブサポーターと平均観客数も70%台の増加で、「ブームに火が点いた」状態となった。しかも、大方の予想を覆してJ1に残留したヴァンフォーレは2年間で1億8915万円の債務を削減し、債務超過の解消に成功してクラブの安定化に成功した。 ヴァンフォーレは2008年に再びJ2に戻り、2011年のJ1再挑戦は1年で終わったが、<図1>でも明らかな通り、J2の3年間でも広告収入は5億円弱、営業収入は10億円台を確保した。2009年からは当期純利益が100万円以下となり、「絶対に赤字を出さない」という制約の中でギリギリの戦力強化に務めたが、ヴァンフォーレにはそれが可能なだけの経営体力が付いていた。降格に伴うクラブサポーター数の目減りも最低限に食い止め、2009年は仙台に次いて2位、2010年と2012年はトップの平均観客数をJ2内で記録した。2005年はJ2の中堅クラブが約5倍の営業収入(Jリーグによる2005年の各クラブ経営資料開示による)を持つ柏レイソルを入れ替え戦で倒した「奇跡の昇格」で、入れ替わりに降格した東京ヴェルディから2006年に移籍した林健太郎は「年俸が半分以下になった」と後に述べる状態だったが、2010年の営業収入は札幌や大分とほぼ同規模の5位という状況で、前年最終節での失敗を受けて十分に準備された昇格だった。 <図1>1997-2011年のヴァンフォーレの営業収入と当期純利益の推移(単位:千円) クラブ経営の安定化は「ヴァンフォーレ甲府経営委員会」の開催によっても裏付けられる。本拠地の小瀬スポーツ公園陸上競技場を運営する山梨県庁やJFL・J2初期時代に公式戦を開催していた甲府・韮崎両市役所などはヴァンフォーレに出資しており、経営危機への対応や協力関係についてクラブと協議をする場として同委員会を作っている。<表3>で示したその開催回数は、同年末に経営危機が表面化するまでクラブと自治体の関係が疎遠だった2000年は発足時の1回のみ、クラブ存続が困難視された2001年には5回を重ね、依然として危機が続いていた2002年にも4回行われたが、2003年以降は徐々に減った。2005年はJ1昇格報告と今後の対応を協議するために3回開催となったが、2008年からは年1回、海野社長がヴァンフォーレ甲府の前年度の経営状態を報告し、県や市がそれを了承して今後の支援を確認する場となっている。2012年の第25回経営委員会も同様の手順で行われ、最後に海野社長の会長就任と輿水順雄専務の社長就任が報告された。 <表3>「ヴァンフォーレ甲府経営委員会」の年別開催回数 ヴァンフォーレの2012年の営業収支はこれからまとまるが、2010年同様にほぼ収支均衡だとしても、J1に上がる2013年には過去の実績から見ても数千万円の黒字が見込まれる。仮に2013年にJ1残留へ成功すれば、繰越損益でも債務を完済する可能性が高い。ヴァンフォーレの存続問題も完全にハッピーエンドで決着する目処が付いたのである。 ☆環境整備で自治体との関係が再浮上 しかし、ヴァンフォーレをJ1に定着させ、経営面でも地場を固めるために足りない物が、奇しくもJ1昇格を決めた試合で明確に指摘された。 10月14日の第38節、湘南ベルマーレと引き分けて選手やサポーターと喜びを分かち合った後の城福浩監督は、公式記者会見で厳しい言葉を連ねた。J's GOALに掲載されたその内容を転載する。 「今週、火曜日から土曜日の5日間のトレーニングは5カ所の違った練習場でやりました。その中でスタッフが練習の数時間前に練習場に行ってラインを書いたところが3カ所。我々はこういう状況で日々過ごしています」 「我々は最大の努力をするが、今のJ2で昇格争いをするチームの中でグラウンドを転々としているのは甲府だけだと認識しています。そこの改善をしながらも選手の補強やスタッフのレベルアップも必要。こういうトータル(の環境)がなければJ1で戦って行くことは正直厳しいと思います」 (出典URL:http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00145335.html) 城福の指摘を裏付けるのが、<表4>でまとめたJリーグ全40クラブの練習場事情である。2012年のJ1クラブのうち、専用的に使用できる練習場を持たないのはサガン鳥栖のみで、ここもJ1昇格を機に2013年から鳥栖市が専用施設の提供を始める予定となっている。J2でも3クラブが自ら、ないし親会社が所有する練習場を使用し、複数の練習場を日常的に併用するのは8クラブだが、そのうちJ1経験があるのはヴァンフォーレのみで、かつここまで日替わりなのは他のJ2クラブでもない。 <表4>Jリーグ全40クラブのトップチーム練習場使用状況 <注>遠征、冬季対応などの例外を除く。出典は各クラブ公式サイトの練習日程。 *は日本サッカー協会による「サッカーを中心としたスポーツ環境整備モデル事業」の助成を受けた練習場(甲府は昭和町押原公園が該当)。 そのうち、ベルマーレ戦の前日に使用した昭和町押原公園がこの問題のポイントである。甲府市に隣接し、ヴァンフォーレ本拠地の小瀬スポーツ公園陸上競技場からも約4kmと近い同公園は日本サッカー協会の「サッカーを中心としたスポーツ環境整備モデル事業」助成金を受けて整備された。これは2002年W杯の利益を地域へ還元するため2004年度から3年間行われ、<表4>でも見たように8つのクラブはこの助成金を受けたサッカー場を現在の練習場として利用しているが、2006年度に2億800万円を受け取って2008年から利用が開始された押原公園の場合は昭和町民の間でヴァンフォーレの優先使用に反対する意見が強く、山梨県サッカー協会の事務所は移転した一方、ヴァンフォーレは一般利用者と同条件での申し込みや利用が必要となり、「(練習では)毎日全部の荷物を撤収するということです。スパイクもベッドも毎日用意する。想像してほしいが、自分のロッカーがない、部屋がないということがどれだけ負担になるか」と嘆く事態は改善されなかった。W杯の成功とJリーグクラブの発展が連動するサッカー界のサイクルが、山梨県では不完全になったのである。 今回の昇格決定後もヴァンフォーレ専用練習場整備の動きは公になっていない。「僕が知る限りですが、甲府のスタッフはビッグクラブの3倍働いている」と労いながら、「芝生の種類、ピッチの硬さが毎日違う練習場を転々とすると選手の膝や腰への負担は大きい」として「甲府は(スポンサーの)大企業の私有地の(設備の整った)グラウンドを借りる訳にはいかないので、山梨の全ての立場の方々がJ1で最低限戦える環境というものを皆さんで考えてもらえるとありがたい」という監督の願いが届く日はまだ見えてこない。 10月中旬の昇格だったため、ヴァンフォーレは早期に来年のJ1に備えた戦力整備に着手できた。依然としてJ1では低予算での戦いを強いられるが、J2の得点王争いで圧倒的にリードするFWダヴィの残留に向け、レンタル元への支払いを含めて2億円の資金を用意するという報道も出ている。2007年にはバレーがガンバに移籍した穴を埋められずに降格し、2011年にはハーフナー・マイクの奮戦で最終節まで残留争いを続けた経験もあり、エースの去就には人一倍神経を尖らせるクラブである。 ただ、選手の引き留めや育成には地域社会からの日常的な支援が欠かせない事もヴァンフォーレは良く知っている。山梨県民の間で広く浸透したヴァンフォーレがJ1定着と安定経営を両立できるか、選手の移籍よりも大きな資金を必要とし、中期的な展望も欠かせないこの難題は、11年前の存続問題と同様、再び自治体の手に委ねられつつある。 筆者名 中西 正紀 プロフィール サッカーデータベースサイト「RSSSF」の日本人メンバー。Jリーグ発足時・パソコン通信時代からのサッカーファン。FIFA.comでは日本国内開催のW杯予選で試合速報を担当中。他に歴史・鉄道・政治などで執筆を続け、「ピッチの外側」にも視野を広げる。思う事は「資料室でもサッカーは楽しめる」。 ホームページ RSSSF ツイッター @Komabano Facebook masanori.nakanishi {module [170]} {module [171]} {module [190]} 【厳選Qoly】東南アジア最強を決める三菱電機カップで日本出身選手が躍動!活躍する日本出身の5選手を紹介 RELATED TAGS コラム (872) 日本 (1201) ヴァンフォーレ甲府 (83) Jリーグ (5804)
Qoly読者の皆さん、はじめまして。RSSSFメンバーの中西です。先日Qoly編集部にインタビューをしていただいたご縁もあり、こちらでも私のコラムを掲載していただけることになりました。他の皆さんとは違った視点からサッカーの話をしていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。 このコラムで最初に取り上げたのは、ヴァンフォーレ甲府について。ご存知の通り、ヴァンフォーレは今年のJ2で既に優勝を決め、1年でのJ1復帰に成功している。一方、ヴァンフォーレはかつて深刻な経営危機に直面し、チーム解散の可能性が高かったが、ここから地元に密着した活動を展開して存続と強化につなげた「奇跡のクラブ」でもある。今回はこのヴァンフォーレの経営問題がどうなっているのか、そしてこのクラブが現在抱えている地域社会との課題について解説したい。 ☆3度目のJ1昇格で累積赤字は解消へ ヴァンフォーレは1997年に「ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ」として法人化され旧JFLに参加し、Jリーグ準会員チームに対抗したが、1998年には既に債務超過となっていた。J2参入後の2年間でも赤字は続き、2000年には債務額が4億5019万円に達してチームの存続が深刻な問題になった。そして最終的なチームの整理・解散を前提として山梨日日新聞社から送り込まれた海野一幸社長がいずれも前年実績の約2倍となる広告収入・クラブサポーター(ファンクラブ)会員数・1試合当たり平均観客数の3条件をクリアしてチーム存続にこぎ着けたのは、Jリーグファンの間では良く知られた展開である。 その後も含めたヴァンフォーレの経営状況は<表1>・<表2>である。出典は後述する「ヴァンフォーレ甲府経営委員会」の公開資料、及びそれを転記したWikipediaの該当項目である。 <表1>1997-2011年におけるヴァンフォーレ甲府の経営諸データ(単位:千円) <表2>1997-2012年におけるヴァンフォーレ甲府の広告収入(単位:千円)とクラブサポーター会員・1試合平均観客数(単位:人) <注>1997-2000年のクラブサポーター数と2012年の広告収入額は不明。1997年の平均観客数は調査中。2012年はクラブサポーター数が9月末日現在(2012年度会員募集締切時)、平均観客数は第40節終了時(20試合消化、残り1試合)の数値。 <表1>の通り、2001年の黒字額は258万円で累積債務額の1%も満たせず、「暫定的な存続」という実態が強かった。しかし3年連続最下位を脱出した2002年以降、その黒字額は広告収入と共に増加していった。ヴァンフォーレは「存続フィーバー」から徐々に地域社会へ定着し、2004年には平均観客数がクラブサポーター会員数を上回って「助ける対象」から「見て楽しむ存在」へと変化した。 次の転機は2006年のJ1昇格だった。<表2>で示したように広告収入が前年比で132%増となり、営業収入全体でも2倍の13億4千万円に達した。クラブサポーターと平均観客数も70%台の増加で、「ブームに火が点いた」状態となった。しかも、大方の予想を覆してJ1に残留したヴァンフォーレは2年間で1億8915万円の債務を削減し、債務超過の解消に成功してクラブの安定化に成功した。 ヴァンフォーレは2008年に再びJ2に戻り、2011年のJ1再挑戦は1年で終わったが、<図1>でも明らかな通り、J2の3年間でも広告収入は5億円弱、営業収入は10億円台を確保した。2009年からは当期純利益が100万円以下となり、「絶対に赤字を出さない」という制約の中でギリギリの戦力強化に務めたが、ヴァンフォーレにはそれが可能なだけの経営体力が付いていた。降格に伴うクラブサポーター数の目減りも最低限に食い止め、2009年は仙台に次いて2位、2010年と2012年はトップの平均観客数をJ2内で記録した。2005年はJ2の中堅クラブが約5倍の営業収入(Jリーグによる2005年の各クラブ経営資料開示による)を持つ柏レイソルを入れ替え戦で倒した「奇跡の昇格」で、入れ替わりに降格した東京ヴェルディから2006年に移籍した林健太郎は「年俸が半分以下になった」と後に述べる状態だったが、2010年の営業収入は札幌や大分とほぼ同規模の5位という状況で、前年最終節での失敗を受けて十分に準備された昇格だった。 <図1>1997-2011年のヴァンフォーレの営業収入と当期純利益の推移(単位:千円) クラブ経営の安定化は「ヴァンフォーレ甲府経営委員会」の開催によっても裏付けられる。本拠地の小瀬スポーツ公園陸上競技場を運営する山梨県庁やJFL・J2初期時代に公式戦を開催していた甲府・韮崎両市役所などはヴァンフォーレに出資しており、経営危機への対応や協力関係についてクラブと協議をする場として同委員会を作っている。<表3>で示したその開催回数は、同年末に経営危機が表面化するまでクラブと自治体の関係が疎遠だった2000年は発足時の1回のみ、クラブ存続が困難視された2001年には5回を重ね、依然として危機が続いていた2002年にも4回行われたが、2003年以降は徐々に減った。2005年はJ1昇格報告と今後の対応を協議するために3回開催となったが、2008年からは年1回、海野社長がヴァンフォーレ甲府の前年度の経営状態を報告し、県や市がそれを了承して今後の支援を確認する場となっている。2012年の第25回経営委員会も同様の手順で行われ、最後に海野社長の会長就任と輿水順雄専務の社長就任が報告された。 <表3>「ヴァンフォーレ甲府経営委員会」の年別開催回数 ヴァンフォーレの2012年の営業収支はこれからまとまるが、2010年同様にほぼ収支均衡だとしても、J1に上がる2013年には過去の実績から見ても数千万円の黒字が見込まれる。仮に2013年にJ1残留へ成功すれば、繰越損益でも債務を完済する可能性が高い。ヴァンフォーレの存続問題も完全にハッピーエンドで決着する目処が付いたのである。 ☆環境整備で自治体との関係が再浮上 しかし、ヴァンフォーレをJ1に定着させ、経営面でも地場を固めるために足りない物が、奇しくもJ1昇格を決めた試合で明確に指摘された。 10月14日の第38節、湘南ベルマーレと引き分けて選手やサポーターと喜びを分かち合った後の城福浩監督は、公式記者会見で厳しい言葉を連ねた。J's GOALに掲載されたその内容を転載する。 「今週、火曜日から土曜日の5日間のトレーニングは5カ所の違った練習場でやりました。その中でスタッフが練習の数時間前に練習場に行ってラインを書いたところが3カ所。我々はこういう状況で日々過ごしています」 「我々は最大の努力をするが、今のJ2で昇格争いをするチームの中でグラウンドを転々としているのは甲府だけだと認識しています。そこの改善をしながらも選手の補強やスタッフのレベルアップも必要。こういうトータル(の環境)がなければJ1で戦って行くことは正直厳しいと思います」 (出典URL:http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00145335.html) 城福の指摘を裏付けるのが、<表4>でまとめたJリーグ全40クラブの練習場事情である。2012年のJ1クラブのうち、専用的に使用できる練習場を持たないのはサガン鳥栖のみで、ここもJ1昇格を機に2013年から鳥栖市が専用施設の提供を始める予定となっている。J2でも3クラブが自ら、ないし親会社が所有する練習場を使用し、複数の練習場を日常的に併用するのは8クラブだが、そのうちJ1経験があるのはヴァンフォーレのみで、かつここまで日替わりなのは他のJ2クラブでもない。 <表4>Jリーグ全40クラブのトップチーム練習場使用状況 <注>遠征、冬季対応などの例外を除く。出典は各クラブ公式サイトの練習日程。 *は日本サッカー協会による「サッカーを中心としたスポーツ環境整備モデル事業」の助成を受けた練習場(甲府は昭和町押原公園が該当)。 そのうち、ベルマーレ戦の前日に使用した昭和町押原公園がこの問題のポイントである。甲府市に隣接し、ヴァンフォーレ本拠地の小瀬スポーツ公園陸上競技場からも約4kmと近い同公園は日本サッカー協会の「サッカーを中心としたスポーツ環境整備モデル事業」助成金を受けて整備された。これは2002年W杯の利益を地域へ還元するため2004年度から3年間行われ、<表4>でも見たように8つのクラブはこの助成金を受けたサッカー場を現在の練習場として利用しているが、2006年度に2億800万円を受け取って2008年から利用が開始された押原公園の場合は昭和町民の間でヴァンフォーレの優先使用に反対する意見が強く、山梨県サッカー協会の事務所は移転した一方、ヴァンフォーレは一般利用者と同条件での申し込みや利用が必要となり、「(練習では)毎日全部の荷物を撤収するということです。スパイクもベッドも毎日用意する。想像してほしいが、自分のロッカーがない、部屋がないということがどれだけ負担になるか」と嘆く事態は改善されなかった。W杯の成功とJリーグクラブの発展が連動するサッカー界のサイクルが、山梨県では不完全になったのである。 今回の昇格決定後もヴァンフォーレ専用練習場整備の動きは公になっていない。「僕が知る限りですが、甲府のスタッフはビッグクラブの3倍働いている」と労いながら、「芝生の種類、ピッチの硬さが毎日違う練習場を転々とすると選手の膝や腰への負担は大きい」として「甲府は(スポンサーの)大企業の私有地の(設備の整った)グラウンドを借りる訳にはいかないので、山梨の全ての立場の方々がJ1で最低限戦える環境というものを皆さんで考えてもらえるとありがたい」という監督の願いが届く日はまだ見えてこない。 10月中旬の昇格だったため、ヴァンフォーレは早期に来年のJ1に備えた戦力整備に着手できた。依然としてJ1では低予算での戦いを強いられるが、J2の得点王争いで圧倒的にリードするFWダヴィの残留に向け、レンタル元への支払いを含めて2億円の資金を用意するという報道も出ている。2007年にはバレーがガンバに移籍した穴を埋められずに降格し、2011年にはハーフナー・マイクの奮戦で最終節まで残留争いを続けた経験もあり、エースの去就には人一倍神経を尖らせるクラブである。 ただ、選手の引き留めや育成には地域社会からの日常的な支援が欠かせない事もヴァンフォーレは良く知っている。山梨県民の間で広く浸透したヴァンフォーレがJ1定着と安定経営を両立できるか、選手の移籍よりも大きな資金を必要とし、中期的な展望も欠かせないこの難題は、11年前の存続問題と同様、再び自治体の手に委ねられつつある。 筆者名 中西 正紀 プロフィール サッカーデータベースサイト「RSSSF」の日本人メンバー。Jリーグ発足時・パソコン通信時代からのサッカーファン。FIFA.comでは日本国内開催のW杯予選で試合速報を担当中。他に歴史・鉄道・政治などで執筆を続け、「ピッチの外側」にも視野を広げる。思う事は「資料室でもサッカーは楽しめる」。 ホームページ RSSSF ツイッター @Komabano Facebook masanori.nakanishi {module [170]} {module [171]} {module [190]} 【厳選Qoly】東南アジア最強を決める三菱電機カップで日本出身選手が躍動!活躍する日本出身の5選手を紹介