かつてJリーグで選手や監督として戦った元ドイツ代表FWピエール・リトバルスキー氏が、日本での「レッカー移動」の経験を語っていた。
1.FCケルンで長くプレーし、ドイツ代表でも73試合に出場したドリブラーであったリトバルスキー氏。クラブで奥寺康彦氏とチームメイトだったこともあり、1993年にJリーグのジェフユナイテッド市原(当時)へと加入したことで知られる。
奥寺から「きっと日本を気に入るはずだよ。小柄な君でもヘディングでゴールを決められるかもしれない」と勧められ、Jリーグ行きを決断したという。
その日本ですぐに活躍を見せると、その後ブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)でもプレーしてJFLで現役引退。指導者としても横浜FCとアビスパ福岡で監督を務めるなど、非常に日本と関係が深い人物として知られている。
そのリトバルスキー氏が今回ポッドキャストの「Wie war das Damals?」に出演。日本での印象的な経験として「レッカー移動」のシーンを振り返っていた。
「サッカーがまだ発展途上な国に行き、新しいことを学べた。それは『リスペクト』が何を意味するかという点だ。これはとても重要な言葉だ。日本人は、単純に人に対して尊敬の念を持っているのだ。
彼らはお互いに助けあうことができる。英語もドイツ語もほとんど話せないが、私は素晴らしい形で助けられた。
一度、車を間違った場所に停めてしまって、レッカー移動されてしまったことがある。ただ日本人はとても親切で、車が移動された先の場所をチョークで書いてくれていたんだ。
ただ、もちろん私はその日本語を読むことができなかったので、行き詰まってしまった。当時はまだGoogleレンズがなかったから、『一体これは何なんだ』と立ちすくんでいた。
すると、ある女性が私の脇を掴んで『何をしているんですか?』と言った。そして彼女は私を10分間も横浜市内を案内してくれて、車の場所まで連れて行ってくれたんだ。
私は信じられないほどに幸せだった。だから、私はあの国とその温かさを愛するようになったんだ」
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リトバルスキー氏はJリーグへと移籍した際に人々の温かさやリスペクトに感銘を受け、日本への愛情を深めていったようだ。