20日にファジアーノ岡山への移籍が決まった19歳のボリビア人FWユウト・バイゴリア。
ボリビア1部のグアビラというクラブから期限付き移籍で加入した彼は日系人プレーヤーでもあり、本名はユウト・エドワルド・バイゴリア・ニシザワ。
今季のリーグでは16試合に出場して1アシストを記録しており、主に左サイドハーフや右ウイングでプレーしていたというデータが残っている。
そして『Redpat』は、このユウト・バイゴリアの移籍を受けて「日本で歴史を刻んだボリビア人サッカー選手4名」という特集を掲載していた。
「最初にそれを選択したのは、1970年にボリビアで生まれた石川康だ。名門アギレラ・タフイチ・アカデミーでトレーニングを受け、ボリビア代表として世界大会に出場した。その才能によって彼は日本へ。本田技研、ヴェルディ川崎、そして名古屋グランパスのユニフォームを着た。
そして90年代初頭には、ボリビアの歴史的なサッカー選手が日本へと渡った。国内リーグの得点王であったビクトル・ウーゴ・アンテロ、通称「トゥチョ」は、ブルーミングからフジタ工業(現在の湘南ベルマーレ)に移籍。滞在期間は短かったが、その間に26試合19ゴールという驚くべき数字を残している。
そして3人目はスペイン人監督のアスカルゴルタが指揮した横浜マリノスでプレーしたフリオ・セサル・バルディビエソだ。日本での彼のプレーは大成功を収め、61試合に出場して21ゴールを決める活躍をした。
4人目は今日本のリーグで名前を残そうとしているユウト・バイゴリアだ。グアビラにルーツを持っているこの若いアタッカーは、日本でボリビアを代表するという課題に直面している」
1988年にボリビアから日本へと渡ってきた石川康は、武南高校への留学からスタートし、Jリーグ創設から10シーズンに渡って日本でプレー。C代表の扱いだったものの、日本代表チームに招集された経験も持っている。Jリーグにおける「日系人選手のパイオニアの一人」である。
そしてビクトル・ウーゴは1990年から91年までフジタ工業サッカークラブで活躍した選手。代表チームではそれほどプレーしていないが、ボリビアリーグでなんと7回もの得点王に輝いた伝説的なストライカーだった。
バルディビエソは横浜マリノスのレジェンドとして有名であり、1997年にニューウェルス・オールドボーイズから日本にやってきたストライカーだ。ゴール数のみならずチャンスメイクにも優れ、1998年はドラガン・ストイコヴィッチに並ぶ19アシストを記録したことでも知られる。
なお、現地メディアでは取り上げられていないが、ブラジル生まれのボリビア代表選手であるエジバウドが2013年に湘南ベルマーレでプレーしたことがある。
この夏、Jリーグにやって来るかもしれない外国人選手たち(2025年版)
「ボリビア国籍の選手」として5人目、ボリビア生まれの選手としては4人目の日本挑戦となるユウト・バイゴリア。輝かしい結果を残してきた先輩たちに続くことができるだろうか。