川崎フロンターレで18年に渡ってプレーし、2020年限りで引退した中村憲剛の引退試合が12月14日にUvance とどろきスタジアムby Fujitsuで開催された。

川崎や日本代表でプレーした選手を中心に110名を超える選手が参加し、22,014人が詰めかけた引退試合を終えた中村憲剛は試合後に会見に応じ、「本当に幸せな1日だった」という試合を振り返った。


――中村憲剛選手にとって、18年の現役生活を送った川崎という地はどんな場所であり、ファンやサポーターの皆さんはどんな存在だったのでしょうか?

皆さんと共に18年間も歩んで来させていただいたクラブであり、選手なので、「そのもの」と言っても過言ではありません。川崎に入らなければ、多分僕は今のような選手になってないと思いますし、(企画を始めた)1月の段階で、「育てていただいた感謝の気持ちを皆さんに伝える1日にする」ことをテーマにしていて、皆さんが試合を楽しんでいただけたようでよかったと思います。



――趣向を凝らした引退試合の中でも1番ハイライトあげるならば、どのシーンだったでしょうか?

やっぱり最後の家長(昭博)と谷口(彰悟)のシーンじゃないですか?

引退試合となると「どうしても少ししんみりするのかな……」と思いましたけど、

お寿司とお茶を持ってきていただいて、最後に笑いに持っていくあたりが、我がチームだなと思います。

――寿司と「アガリ」(お茶)で選手生活を締めくくりました。悔いは残っていません?

4年間ちょっとかかりましたけど、しっかり上がらせてもらいました。最終的に皆さんの前でプレーもできましたし、本当に楽しい時間を共有させていただいたので、もう 思い残すことはないです。


――エキシビジョンマッチでは、中村憲剛さんが「幼少期に憧れていた」というラモス瑠偉さん、小学生時代に府ロク少年団でプレーした澤穂希さん、そしてお子さんの中村龍剛(日大藤沢高1年)さんとの共演も実現しました。

彼(中村龍剛さん)は、生まれてまもない頃から等々力に来ていましたが、ピッチに足を踏み入れたのは今日が初めてでした。でも、それなのに親の自分がビックリするぐらいに普通にプレーできていて、「大したものだな」と思いました。

 僕自身も、ウォーミングアップの時にラモスさんとパス交換ができたことが、本当にたまらなくて。僕はラモスさんにずっと憧れて、ラモスさんを追ってサッカー選手を目指したので、僕にとっては大事な存在でした。

(サッカー少年だった頃を思い出して)ウォーミングアップの時に「俺、ラモスと蹴っている……」とテンションが高まってしまっていたのは良くなかったかもしれませんが、そのラモスさんと息子、澤さんの3人でパス交換ができましたし、「もうこのままずっとサッカーが出来たらできたらいいのに……」と思えるくらいの夢のような時間でした。


――最後の3試合目にはFKも決められました。

2試合目の「ジャパンフレンズ」戦の時にFKを外していたので、 完全にビビっていて、公式戦よりも厳しい空気感でした。正直 少し(ボールを)置きにいっていましたから(苦笑)。自分でもビックリするぐらい、最後はみんなが壁を低くしてくれましたけど、「外れたらシャレにならないな」と思って、逆にプレッシャーになったなと(苦笑)。でも、みんなのそういう気遣いには感謝しかありません。

1本目は少しコースが甘かったので、GKの安藤(駿介)にしっかり止められましたが、2本目はしっかり決めることができた。そのおかげで自分のプレイヤーとしての時間を終えられたので、いろんな意味で皆さんに感謝したいなっていう風に思います。

――試合中に吉田沙保里選手がタックルを受けていましたが、その感想を聞かせてください。

気がついたら倒れていました。「世界を制したのはこれか…」と思って、まさか等々力の芝生の上で体感することになろうとは思いませんでしたが、吉田沙保里さんの参戦が決まった時から、「ちょっとやってほしかった」思いもあって。わざと寄せに行って、小さい声で「タックル」と言っていたらしっかりやってくれましたし、その後主審の家本政明さんも試合をうまくコントロールしてくれました。


―この引退試合を始めるきっかけが、引退した2020年はコロナ禍中にあり、チャント(応援歌)を歌って送り出してもらえなかったという事情もあったそうです。最後はGゾーン(応援の中心部)に出向き「もう一度歌ってください」とサポーターに呼びかけていましたが、最後にお聞きになられたご感想を聞かせてください。

引退した2020年は、みんなが声を出した音源を流してくださって。当時は「しょうがないかな」と思って、僕は引退しました。 

でもかつてのようなJリーグ観戦が日常に戻ってきて、2年前に僕のチャントを歌ってもらったことが、今回の「引退試合をやりたい」というきっかけになるんですけど……。最後にチャントを歌ってもらって「幸せものだな」と思いましたし、

引退から既に4年経過していて、結局はこの試合で選手生活を終えるんですけども、4年前にから止まっていた時間が動き出すような感覚がありました。多分ファンサポーターの皆さんも 、心の底から大きな声を出して、思いっきり自分の思いを僕にぶつけてくれたと思いますし、試合中に何度もチャントは流していただいたので、本当に嬉しく思います。

――悔いなく引退できましたか?

悔いはないです。 もし、これで悔いが残ったらバチが当たると思います。もうそれぐらい本当に幸せな時間をみんなと過ごさせていただいたので、もうこれ以上ない引退試合でした。

今季までフロンターレの指揮官を務めた鬼木達氏(真ん中)も選手として、この試合では選手としてプレー。試合中には中村憲剛とパス交換する場面も見られた。写真右は武岡優斗、左は家長昭博。


――現役最後の試合となった天皇杯決勝(2021年1月1日)は試合に出られず、ピッチに別れを告げました。改めてサポーターの前でプレーする姿を見せられたことに対して、何か思うところはありますか?

あの時の天皇杯と今回の引退試合は別のものと、自分の中では割り切っています。

天皇杯の時は延長戦を睨んでいて、(延長戦になったら起用つもりだったが、90分で試合が終わり出場できなかった)鬼木さんの判断に当時の僕も理解できていましたし、チームも優勝できましたから。僕自身は「良かったな」という思いに変わりはありません。

たた、鬼木監督が僕を決勝に出せなかったのは「すごく思うところがあった」と後に話してくださって。なので、今回の引退試合に鬼さんをサッカー選手として声をかけて、一緒にプレーできたことは素晴らしかったですし、鬼木さんからも「すごく良かった」と言ってもらえましたので、僕にとっても嬉しい時間になりました。


――引退試合を振り返ってみていかがでしたか?

僕もここ数年、(他の選手の)引退試合に出させていただく回数が増えましたが、現役の時のような“ピリピリ感”があまりなく、「懐かしい顔とまた会える」良さがあると感じていました。

僕の引退試合にも「多くの方を呼びたい」と思っていましたし、日本代表や元フロンターレの選手たちが等々力でプレーする姿をファンやサポーターの皆さんに見てほしかったっていうのが自分の中でありました。

 そのピッチ内外で、皆さんが楽しそうに過ごされているように感じましたし、「みんなすごいいい時間だった」と言っていただけたので、すごく良かったんじゃないかなと思います。もうその言葉だけで満足です。


――今後の目標を聞かせてください。

引退する時も少し話しましたが、指導者、解説、普及活動などのさまざまな形でとにかく多くの人にサッカーを知ってもらいたいですし、みんなで日本サッカーのレベルを上げていきたいという思いがあって。そのような活動の中に自分の役割はあると思っています。

引退後の4年間は、皆さんと一緒になって一生懸命歩んできました。まだまだ自分の行き先は決まっていないところもありますが、どのような形になっても 自分の信念を元に頑張っていきたいなという風には思います。コツコツやるだけです。

――最後に一言お願いします。

本当に18年間現役選手として皆さんに本当にサポートしていただいて感謝しかありません。 また次の機会にお会いできることを楽しみにしています。今日はありがとうございました。

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