那須大亮のYouTubeチャンネルに元日本代表の播戸竜二、加地亮、坪井慶介、南雄太が出演。那須が不在の中、同じ黄金世代の思い出話で盛り上がった。
日本サッカー界のいわゆる黄金世代は、広義では中田英寿、中村俊輔らも含めた2000年のシドニー五輪世代といえるが、より厳密には1999年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)に出場した1979年生まれの選手たちだ。
奇才フィリップ・トルシエ監督が率いたU-20日本代表は、ナイジェリアで行われた同大会で準優勝。メンバーはその後シドニー五輪や2002年日韓ワールドカップの主力となっていった。
この世代の絶対的な存在は、天才・小野伸二だった。ただ動画では、鹿島アントラーズで活躍した本山雅志(現・鹿島コーチ、アカデミースカウト)が話題となった。
ムードメイカーだった播戸によると、小野と本山は漫画『キャプテン翼』でいうところの「翼君・岬君」の関係で、本山は小野を「シンちゃん。シンちゃん」と呼んで慕っていたようだ。
このチームでは控えだった加地は、「モトが左のワイドをやっているってのがすごかった。あのワイドのウィングで、キュンキュンのドリブルでサイドを切り崩して」と振り返る。
当時は今ほどサイドにドリブラーを置かない時代。播戸が「三笘(薫)のもっと前の時やから」と反応すると、加地は「先駆者やね」と称えた。
本山は最晩年にマレーシアでプレーしているが、ヨーロッパには挑戦しなかった。ただこのワールドユースでは鮮烈な活躍をみせ、海外のクラブからも注目されていたようだ。
播戸によれば、ある試合が終わった後にホテルのプール周辺で休んでいると周囲がざわつき始めた。「モトヤマ!モトヤマ!」「○○のスカウトだ」と叫ぶ彼らは海外のスカウト・代理人で、本山に会うために集まってきたのだという。
これがかなりの騒ぎだったようで、当時を思い出した播戸は「あの時やばかったな」と興奮気味に振り返っていた。
なお、世代別の代表に絡めなかった坪井が「イナ(稲本潤一)とかタカ(高原直泰)よりもすごかったの?」と聞くと、播戸と加地は口をそろえて「あの時のイナは全然」と否定。
当時の稲本はケガをしていたらしく、代わりに出場した遠藤保仁が「めちゃめちゃよかった」ようだ。そのため播戸は、「イナがケガしたのが準優勝できた要因かもしれない」と冗談交じりに話していた。