2007年にフェイエノールトからレアル・マドリーに移籍し、大きな話題になったオランダ人DFロイストン・ドレンテ。
世界で最高クラスの若手選手として評価され、攻撃的な左サイドバックとしてかなり貴重な存在だと言われていた。スペインでの1年目はレギュラーとして起用されていたものの、マルセロにポジションを奪われてからは出場機会が激減。
練習場を無断で抜け出したり、ナイトクラブでの夜遊びが伝えられたりとプロ意識に欠ける行動も多くなり、2010年からはローンで放出されることになった。
そんな彼は今回『NOS』のインタビューに登場し、35歳になった現在は介護士として認知症患者をサポートする仕事をしていることを明かしたという。
ロイストン・ドレンテ
「家族全員が介護の仕事をしているよ。叔母のヘレンは看護師だ。母親もヘルスケアで働いている。
数年前にはすでに考えていたんだ。『介護のトレーニングや勉強をして、それからどうなるのか見てみようじゃないか』と。
僕は常にサッカー界の華やかさに慣れていた。そのキャリアを終えるかどうか、とても悩まされたよ。
何かを始めた瞬間に、『これが本当に自分のやりたいことなのだろうか?』と考える。それはきっと、まだ僕がサッカーを忘れられないからだろうね。段階を踏んで進んでいくものだ。
世界の全く違う側面を見ているよ。それは、僕が社会の中でよりよい人間になることを助けてくれる。
施設で、他のお客さんを怖がらせているお婆さんがいたんだ。彼女はすこし攻撃的だった。そういうときは、僕が助けになるね」
「サッカー選手として送るべき人生と、人間として送るべき人生は違うものだ。人はそれをある程度混在させることができるが、僕はライフスタイルを変える必要を感じていなかったんだ。
今ならわかるよ。僕は正しいことをやっていなかった。ミスを犯した。つまり、プロになる準備ができていなかったんだよ。
自分が神様であるかのように思っていた。女を愛し、パーティをやり過ぎた。それはサッカーと並行してやるべきものじゃないんだよ」
【関連記事】レアル・マドリー、2000年代「最高に奇妙な補強」ワースト6
現在は介護士をやりながらアマチュアのコザッケン・ボーイズでトレーニングしており、あと1年間オランダ3部で現役を続けたいと考えているという。
【Qolyインタビュー】パリ五輪出場の東京ヴェルディMF山田楓喜、トッテナムのクルゼフスキを「自分の究極系」と語るワケ