かつて久保建英のようにバルセロナの下部組織でプレーし、韓国の未来を担うと言われた韓国の天才MFイ・スンウ。
しかしながら、彼はバルセロナを離れた後エラス・ヴェローナ、シント・トロイデン、ポルティモネンセでプレーしたのみで、しかも活躍することはできず。
2021年12月にヨーロッパでのプレーを終えて昨年水原FCに加入し、2022年のKリーグ1で14ゴールを決めるなどようやく結果を残した。
彼は今回Youtubeの「イ・ドングクTV」に参加し、自身のキャリアを以下のように振り返ったという。
イ・スンウ
「子供の頃、FIFAの懲戒処分で2~3年間サッカーができない状況になった。
FIFAは満18歳以下の選手の海外移籍を規定で原則的に禁止している。僕は16歳ですでにバルセロナと5年のプロ契約を結んでいた。
そして当時、誰かが僕の事例を申告したんだ。そして規定を破ったとしてFIFAの処分を受けて、16歳から18歳までサッカーができなかった。その年齢が選手にとっていちばん重要なのに…。
最初は僕をプレーさせるためにバルセロナが大会を設けたが、それもダメだと言われてしまった。練習試合だけでも…とプレーしようと思ったが、それも禁止された。
そして練習だけしていたら、次は練習だけでもダメだと言われた。懲戒が残り2~3ヶ月になった時、バルセロナが韓国までコーチを送ってくれて、別に練習できるようになった。
そして18歳になるやいなやバルセロナに戻ってプレーした。20試合で30ゴールは決めたよ。
ただその後僕をバルセロナにつれてきた経営陣が変わったので、イタリアのエラス・ヴェローナに移籍したんだ」
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FIFAの制裁を受けたとき、久保建英とは違ってバルセロナに残ることを決断したイ・スンウ。しかしそこでプレーできなかったため、キャリアが加工してしまったという。