いよいよ本日開幕するEAFF E-1 サッカー選手権(旧東アジア選手権)。9回目を数える大会だが、これまで日本代表で10番をつけた選手は誰だったのだろうか?

実は9大会のうち3大会で背番号10は不在である。これは当時W杯予選などでは予選を通じた通し番号が使われており、招集された人数が増えるにつれ30番台40番台という番号を普通につけていた。

その中でE-1選手権は大会の位置づけや延期などの事情もあって10番の選手が不在であったことも珍しくないからだ。

それでは、今回は過去大会を彩った“貴重”な5人の日本代表10番を見て行こう。

藤田 俊哉

大会:2003年

第一回目の東アジア選手権10番は藤田俊哉だった。

SARSの影響で2003年6月から12月に延期したこともあり23人のメンバー中22人はJリーグ勢。当時、ユトレヒトでプレーをしていた藤田は唯一の欧州勢としてチームに途中参加で加わり10番をつけた。

監督のジーコは大会前に「東アジアサッカー選手権2003決勝大会に出場するチームは、いずれもアジアを代表する強豪チームです。」とコメントを残しているが、3-4-1-2のシステムをテスト。大久保嘉人、久保竜彦の2トップに注目が集まった。

中国、香港相手にそれぞれ2-0,1-0、韓国に0-0と無失点で切り抜けたが大会レギュレーションにより韓国に総得点で1下回り準優勝に終わった。

固定メンバーで戦ったこともあり、藤田は決勝で途中出場したのみとインパクトを残せなかった。